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吸血鬼ドラキュラ

戦後の怪奇映画の世界を席巻したハマー・フィルム。その名を不動のものにしたホラー映画の代表作の一本。ドラキュラ映画の決定版である。

「フランケンシュタインの逆襲(1957)」のスタッフ・キャストによるハマー・ホラーの第二弾。

ブラム・ストーカーの原作の流れを崩さずに原作の面白いところだけを抽出し、大胆な簡略と設定の変更が成された。
クリストファー・リーのドラキュラは、戦前のベラ・ルゴシのイメージを一新し、獰猛で凶悪なドラキュラ像を確立。それを向こうに回して勇猛果敢にドラキュラに挑むヘルシング博士もまた、演ずるピーター・カッシングの当たり役となった。

ドラキュラ映画として、初のカラー作品ということもあり、血ぬられた牙を剥き、目を真っ赤にして襲いかかってくるという、「吸血鬼の本性」を露わにしたドラキュラが初めて表現された。また、それまでのドラキュラ映画は現代劇であったが、原作からすでに半世紀を過ぎていたこともあり、初めてコスチュームプレイ(時代劇)の形が取られた。

ホラー映画に限らず、後世の映画に多大なる影響を与えた作品でもあり、畏敬の念を抱く映画人も少なくない。
人気作品であるにもかかわらず、以降のドラキュラ映画はほとんどがルゴシのイメージを継承したもので、本作を参考にしたものは、一部パロディで使われた物を除いては無く、世界の映画界が太刀打ち出来なかったことがうかがえる。

本作では、リーはショックシーンで赤いコンタクトレンズを着用するが、少なからず苦痛を伴い、物をまともに観ることもできない中で激しいアクションを強いられたりと、
これに対して不満を漏らしていたという。

本作で使用されたマントは、2007年にロンドンの衣装屋で30年振りに発見され、オークションにかけられた。その際、写真がネット上に掲載され、「丈が短いのでは?」と疑問の声も出た。どうも、他の映画に流用されたか何かで丈が詰められたようだった。

英国でのタイトルは"DRACULA"であるが、米国でのタイトルは"DRACULA(1931)"との混同を避けるために"HORROR OF DRACULA"とされた。

ミナを演じた、メリッサ・ストリブリングは
「危険な情事(1987)」「死の接吻(1991)」の監督、ジェームス・ディアデンの実母である。



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【日本公開版について】
本作には、日本公開版にのみ含まれているカットが少なくとも2箇所ある。後半でミナの部屋でドラキュラが噛みつくカットと、ラストの太陽光線に晒されたドラキュラの顔が崩れるカットだ。これが含まれている版は、日本の「東京フィルムセンター」に収蔵されている一本のみで、本邦公開後は同センターで不定期に行われる上映イベントのみでしか鑑賞する術がなかったのである。それも1980年代、フィルムセンターの火災によって「焼失された」とされ、日本公開版は「幻のフィルム」となってしまった。

筆者が(長年、この幻のカットに言及してきた石田 一 氏の補佐として)2
008年にフィルムセンターに問い合わせたところ、実はフィルムは、焼失したのではなく、消火のための放水で水を被って失われたことがわかった。それもフィルム9巻のうち、1-5巻が失われ、6?9巻は無事であった。つまり、幻のカットは残っていたのだ。しかし、残ったフィルムも火災の熱で変形し、映写機にかけることが出来ない状態にあった。

この時点でフィルムセンターは、本作のその価値を把握していなかった。その点の詳細を知らせたところ、本作をセンターの研究室内で話題になったという。さらに、その前年にBFII(英国映像協会)から、同じ問い合わせがあったことがわかった。このため、筆者の問い合わせで調査された結果は、BFIIに報告できるものとなった、ということで、フィルムの修復の案件が発生した。しかし、それから3年後、「修復計画は立ち消えになった」という報告のメールが著者にあった。

しかし、同年9月に本家ハマー・フィルムのオフィシャルサイトにて、日本公開版のカットを含めたレストアが行われたことが発表された。
2011年3月9日にサイモン・ラウゾンなる人物がフィルムセンターでその存在を確認し、版元に報告したことでハマー・フィルムがフィルムセンターと直接交渉したことで実現した。

このニュースは世界のファンの間を駆け巡ったが、そのほとんどが「発見された」というニュースであった。しかし、日本のコアなファンはフィルムが存在していることを知っており、火災が起きるまでは上映されていて、この版を鑑賞済みのファンも少なからずいることもあって、どうも海外ファンとの温度差が感じられる。「発見された。」というよりは「あ、燃えてなかったんだ。」という印象が強いようだ。

そして、本作の完全版は2013年3月18日にBlu-ray&DVDがイギリスでの発売が決定した。
断頭台に送られた男爵が処刑の立会人を買収して生き延び、偽名を使って潜伏し、再び人造人間製造を企てる、ハマーのシリーズ第2作目。 

前作の陰鬱さを漂わせる作りとは裏腹に、幾分ライトに仕上がった作品。怪奇映画というよりはSF映画としての趣が強い。映画全体の色調、雰囲気も明るく、何よりハッピーエンドであるところはフランケンシュタイン映画としては珍しい。 

前作での男爵はその本性が描かれていたが、本作では男爵の社交性を前面に立たせている。 
男爵は極めて優雅であり、魅力ある人当たりの良い人物でもあった。 

残酷シーンはほとんど見られない。面白いことに、そのメスさばきは男爵の食事のシーンに活かされている。大きなナイフとフォークで鶏を切り分け、それを別皿に置き、その皿を手に取り、指で鶏をつまんで口に放り込む。その所作の実に見事なこと! 

男爵が天才医師であることを、この1シーンで間接的に表現しているところが、洒落ている。 

「『フランケンシュタイン』とは怪物の名ではなく、怪物の創造者の名前である」とはよく言われる。 
ところがこの作品では、最後に男爵自身が人造人間になってしまう、という、なんとも皮肉な締めくくりであった。 

とりあえず、「逆襲」と「復讐」で、1つの物語が完結するのであった。 

ちなみに、最後にフランク博士の病院のあるハーレー・ストリートは、ロンドンに実在する有名な通りで、何と医療機関が集結していることで知られている。 

人知れず、フランケンシュタイン男爵がそこで病院を開設しているのである。怖い怖い。
「吸血鬼ドラキュラ」と同じ年に、イギリスで作られた怪奇映画。

これ、ジミー・サングスターの脚本である。「吸血鬼」とはいっても、血の摂取は輸血によるもので、いわゆる俗称の「吸血鬼」である。蝙蝠に変身する、十字架を嫌う、日光に弱い、という体のものではない。

映画冒頭の処刑?復活のシークエンスが無ければ、普通のおっさんの連続殺人の話である。

このカリストラタスという吸血鬼はとても実存的でよくしゃべる。そのためかミステリー色もイマイチでお話が怖くない。

顔の崩れたカールという助手がいる。これが色ボケの殺人鬼なのだが、実質、こいつが物語を回している。いらなくなった登場人物を片っぱしから殺す、ヒロインに恋して、ピンチに陥るとヒロイン助ける、映画を終わらせるのもこいつである。

ヒロインがバーバラ・シェリー。