1960⇒1969

2011年8月アーカイブ

吸血鬼の接吻

 英国ハマープロが、「吸血鬼ドラキュラ(1958)」「吸血鬼ドラキュラの花嫁(1960」に続いて製作した吸血鬼物である。

 「吸血鬼ドラキュラ」のヒットを受けて、クリストファー・リーのドラキュラで続編"Revenge of Dracula"が?企画された。しかし、リーが同じ役を続投する事を拒否したため、「吸血鬼ドラキュラの花嫁」が製作された。当初企画された脚本には3本の候補があったという。その中には、ヴァン・ヘルシング博士が魔法陣を描き、黒魔術を用いてコウモリの精霊を召還し、吸血鬼を退治する、というものがあったという。その案が本作「吸血鬼の接吻」で採用された。
 本作で登場する、印象的なラヴナ邸の外観は、ハマーホラーにおいて「象徴的」ともいえる建造物(ミニチュア)である。後に「凶人ドラキュラ(1966)」の「ドラキュラ城」として登場するため(作品の知名度やインパクトにおいても「凶人ドラキュラ」の方が勝るためか)「ドラキュラ城」の印象が強いが、実のところそれは「流用」であった。
 ジマー教授が吸血鬼に手を噛まれ、火で焼く事で治療をするシーンが登場する。これもまた、「凶人ドラキュラ」に引き継がれる。もともとは「吸血鬼ドラキュラの花嫁」で使われた治療法であった。
 考えてみれば、旅行者が吸血鬼の御膝元でアクシデントに会う、吸血鬼の城に迷い込む、嫁が狙われる、その土地の「吸血鬼に造型の深い人物」に助けられる、という展開もまた、「凶人ドラキュラ」に受け継がれる。「凶人ドラキュラ」は、本作のパロディなのだろうか?(笑)
 アメリカではテレビ放映の際、「KISS OF THE EVIL」とタイトルが変更され、さらに冒頭の葬儀の参列者をアメリカの役者に差し替えられた。日本でテレビ放映されたものは、アメリカTV版である。

吸血狼男

 ガイ・エンドアの小説『パリの狼男』をベースにハマー・フィルムが手掛けた狼男映画で、テクニカラーで製作された世界初の狼男映画である。また、オリバー・リードの初主演映画ともなった。

 ハマーのホーム・グラウンド ブレイスタジオに建設されたセットは、そもそもスペイン異端審問をテーマにしたRAPE OF SABENAの撮影用であったが、同作の脚本がBBFCの監修を通らず撮影が棚上げになったため本作に使用されることになった。このため、舞台はパリからマドリッドに変更されたという。
 狼男映画はフランケンシュタイン、ドラキュラ、ミイラ男を次々にヒットさせていたハマーで作られるのは自然の成り行きだったが、残念ながら興行成績が先達の怪物映画に比べると著しく思わしくなく、これがトラウマとなって、以降ハマーでは狼男映画が作られることはなかった。
 本作では「狼男に噛まれた者が狼男になる」というユニバーサルの設定を排除。代わりに「聖夜に生まれた子供はイエス・キリストへの冒涜として業を負わされる」という民間伝承を採用した。

血とバラ

 ここでの「吸血鬼」は、カメラ視点に、世を俯瞰するようなナレーションが入るという一人称で描かれている。

 本編を素直に受け入れるならば、復活したのは「吸血鬼本体」ではなく「霊魂」ということになる。 しかし、カーミラが霊廟を訪れるシーンでは、実際に吸血鬼がよみがえったような描写があったりするので、どうも存在に一貫性が感じられない。そのためか吸血鬼の存在が極めてボンヤリしており、この作品は「ホラー映画」としては非常に退屈なものとなっている。
欧米での評価は芳しくなかったが、日本では何故か評価が高い。
本編を素直に観ていけば、失恋に嘆くカーミラが吸血鬼ミラルカに見いられ、霊廟で獲り殺されており、その後はずっと吸血鬼ミラルカの暗躍である。このあたりしっかり描かれていれば、多少くっきりとしたホラー映画になったと思うが、ここがグチャグチャなので、ここから先の吸血鬼がカーミラなのかミラルカなのかがはっきりしない印象になり、加えてストーリーがこねくり回されすぎ、さらに加えて編集がまずく、下手するとつじつまが合っていないところがあることや、無理矢理話を終わらせる展開なども相まって、映画全体がよくわからないことになっている。
本作は、温室でのミラルカとジョルジアのキスシーンや、ミラルカがジョルジアの首を狙うシーンばかりが引き合いに出され、必ずといって良いほど「レズビアニズム」が取り沙汰されるが、どこがレズビアンなものか。この吸血鬼は昔好きだった男と添い遂げられず、現代でそれに似た男を狙って、許嫁を殺そうとしているのだ。こんな男好きな女吸血鬼はあまり見ない。しかもツンデレである。
実際のところ、ミラルカのジョルジアに対する感情は、「憎悪」だったのだと思う。