1960⇒1969

2019年10月アーカイブ

妖女ゴーゴン

『妖女ゴーゴン』についての考察

(文章:乗寺嶺 善美 2016/5/30)

ハマーホラーといえば、小学生時代の夏休みの午後ローの定番でやたら見た覚えがある。「妖女ゴーゴン」はかなりリピート放映されていた。頭悪いガキなのでクソ暑い中アイス食いつつ、あーなんだよー蛇女出てこないじゃねえかとイライラしながら見た記憶がある。もうオチも知っているし、蛇女結構弱いんだよなと小馬鹿にしつつ見た。ガキなりのリアリズムがあるので、吸血鬼とか狼男をバカにして見ている時期である。ここ日本だし、ドラキュラ伯爵来るわけねえしみたいな頭の悪い理解でハマーホラーをバカにしていた。

「ハマーホラーの夕べ」で遥か昔のハマーホラーを見直して今の感性で見るとまあ、なんというかときめく設定が多い。ある程度の知識と見識があるとスタッフはこういうことがしたいのねが見えてくるので、この年になってのオレ的ハマーホラーブレイクが来ている。これは東宝の怪獣映画に感じる懐古的な物とは違う。で、「妖女ゴーゴン」を久しぶりに見てみるとなかなかいいメロドラマだった。

20世紀初頭、ドイツの片田舎バンドルフ村と、その村にある無人のボルスキ城でこの村に住みついたよそ者の画家とこの村の娘がエッチい仲になった。アタシい妊娠したの!結婚してからーのゴタゴタ後、娘が石化死体で画家は首つり死体で見つかる。画家にはリンチの跡がある。検死に立ち会ったドクター・ナマロフ(ピーター・カッシング)と助手のカルラ(バーバラ・シェリー)はまたかみたいな空気になるのだが知らん顔で、事件の経緯は画家が娘を殺害した後に自殺という結論になる。これに納得いかないのが画家の父ハインツ教授で、独自に調査していると蛇女に遭遇してしまい石化。しかしながら石化のスピードが遅かったので、もう一人の息子ポールに手紙を書く時間があった。父と兄弟を失ったポールが事件の解明に来るが助手のカルラに惚れちゃったみたいで長々とメロドラマが始まりますよという空気になる話。久々に見たら寝そうになるほどゆったり進行。まあ、そこがいいわけですが結ばれない二人の男女の悲恋モノのラブロマンスで見ると非常にいい映画ですね。

古城に居たのはゴーゴン三姉妹の一人メゲーラらしいという話になって、あれ?ゴーゴン三姉妹ってステンノ・エウリュアレ・メドゥーサだよね?アレでしょう?アテナの怒りを買って怪物にされちゃった気の毒な三姉妹。で、メゲーラってたぶんメガイラだ。こちらはエリーニュスの三女神だ。

アレークトー(止まない者)
ティーシポネー(殺戮の復讐者)
メガイラ(嫉妬する者)

だったと思う。でこの女神様達はティターン族なのでオリュンポスの神々より古い存在だ。何気に神格が上がっている。そんな古の女神様が何故20世紀初頭の古城で寂しく居るのか不明なのだが、髪が無数の蛇の怪物で見た者が石になるメドゥーサをメガイラにした理由って何だろう?たぶんこれはメガイラが嫉妬を司るからだ。同時に悪事を働く者を罰することがお仕事でもある。こう考えると最初の画家と村の娘のエッチい関係で娘の方を石化した理由が見えて来る。不道徳に密通して淫らな関係になった娘を罰したということになる。なんか理不尽なのだけど、ギリシャ・ローマ神話の神って理不尽です。うっかり何かやらしたら酷い殺され方をするか怪物にされます。あと何気に女子に厳しい。冒頭の不可解な死体のシーンって実はかなり深い意味がある。ちなみに画家は娘のパパが激怒して村の連中集めてリンチして殺したのだと思う。で、これを地元の警察は知っていて黙認している。なんてヤバい村なんだというのが非常に英国的な嫌らしい感性だ。排他的でよそ者に厳しいということはハインツ教授さんちに暴徒が嫌がらせに来るシーンでも分かる。所謂村社会独特のアレである、アレであるからもう20世紀だと言うのに怪物の存在を信じて隠していることになる。

以後のストーリーでネタバレをするとメゲーラの魂がカルラに宿っていること。ドクター・ナマロフはそれを知っていて、カルラを庇っていることで、実は彼女に愛情を感じている。ドクター・ナマロフはその状況にかなり悩んでいたということが分かる。そこの若いポールが登場である。で、急速に仲良くなる二人に不安になったのかアイツ、満月の夜になるとメゲーラになるから監視せえみたいな体でがたいのいい用心棒みたいな助手を差し向けるわけだが、この助手は殺人に躊躇がない危ない奴だったりするので、なんでこんなの雇ってんだという不思議な状況。途中でポールの恩師であるマイスター教授(クリストファー・リー)が合流する。長身に適度に着崩した風体で怪しい人である。身なりでコイツは変人という記号化をしているのだが、この人が登場したのはこの物語におけるただ一人の俯瞰で物が見える人で、理知的な視点でこの村の状況に切り込める近代人ということなのだと思う。理知的だからメゲーラは居ると仮定するとこうじゃないか?みたいな冴えたアドバイスをくれるのだが、ポールはカルラを愛しちゃっているので届かないみたいな流れになる。恋は盲目ですね。うっかりすると石化しちゃう危険な恋ですね、そら燃えますわね。

マイスター教授が教鞭をとっているライプツィヒ大学って本当にあるのかしらと思って調べるとすっげえ名門です。ライプニッツとか物理学者のハイゼンベルクとヘルツ、実験心理学のヴント、クラインの壺で有名な数学者クライン、メビウスの帯で有名な数学者メビウスが先生をやっていた大学です。そらまあマイスター教授がリアリズムの塊なのはよくわかる。あの人は遅れて来た金田一耕助のような名探偵なのだな。もう近代化の波が来ているのにまだ旧体制な社会に光をもたらす人という役割も演じているわけだ。
だからドクター・ナマロフとマイスター教授が対峙するシーンにドキドキする。近代化の光を持っているのに真実に目を背ける者と背けない者との対決だ。あの緊張感半端ない。名優同士特有のオーラであのシーンは非常にときめく。この物語は古の女神が古城に居ついたこととそこは近代化の波に乗り遅れた旧体制の村社会だったこととポールとカルラの悲恋がうまく噛み合ってないんだと思う。それでもラストの哀感漂うシーンっていいよね、誰かあの状況を救う者が居るとすればペルセウスのような勇者の資質を持った人ということになるのだろう。まあ、あの人が勇者なのかというと少々疑問だが。神に挑むということはこういうことだという落としどころで考えるといいラスト。怪奇なシーンで始まって、神話のような終わり方をするという素敵な映画ではあるんだ。