2010年4月28日鑑賞。

さて、今回のウルフマン・・・とその前に、私はオールドファンだが、パンフを一瞥すると、隅から隅まで、オリジナル版のことや、ジャック・ピアースのこと等がまことしやかに書かれており、少々辟易。

ヘビーなファンには薄っぺらい内容だわ、一般人には「どうでもいいこと」もしくは「わけのわからないこと」だわ、どの道「万人向けのパンフ」としてはいかがなものであろうか?まあ、それはいいや(爆)。

かなり完成度は高いと思う。「完成度の高いところでどう崩していくか?」というところで腐心していたようにも思える。

監督は「ジュラシックパーク?」のジョー・ジョンストン。私はこのシリーズでは?が一番好きなので、その監督作品ということで楽しみにしていた。迷いが無い「骨太の演出」。そのどっしりとした得も言われぬ貫禄。それが観られただけでも本望だ。

主人公のローレンス・タルボットは、著名な舞台俳優という設定だ。
挿入で入る舞台劇は「ハムレット」の墓場のシーン。宮廷の道化にして、ハムレットの遊び相手だったヨリックのシャレコウベを手に昔を懐かしむところだ。
この設定が、映画全体の韻を踏んでいるように思える。考えてみれば、「ハムレット」というのは父王を叔父のクローディアスに暗殺され、王国と母を奪われ、キチガイを演じて復讐するハムレット王子の話だ。

このハムレットと、それを演じたローレンスの因果というのはとても興味深い。ハムレットは母を溺愛し、その夫である父を深く敬愛していた。父が殺され、その下手人と思しき狡猾な叔父、クローディアスに王国と母を奪われる。

これから観る人には、そこを加味して観てほしいのだ。そうすれば、この映画は、より深みを帯びてくるはずだからだ。

少なくとも、旧作を知っている私には、そう観るしかなかった。「1941年版のリメイク」だけでは、どうにもこうにも「面白くない」。

それよりも、この作品は、質の良い純然たる「ホラー映画」だ。しょっぱなから度肝を抜かれる。かなり早い段階から「ドッキリ」がある。そこで私は「えー!こんなのが何度もあるのか?いやだなあ・・・」とドキドキしながら観た。「最初のつかみの部分」でドッキリがある、ということは、本編に無いわけが無く、こちらの思惑通りに「お化け屋敷に入ったかのようなドキドキ感」がずーっと続く。

狼男は、動きが速く、凶暴、残虐、人喰いときている。人間性と怪物性の比率1:9というところ。80年代ホラーに見られた、「切断と内臓の美学」が臆面も無く展開される。「そうだよなあ・・・狼男はこれくらい危険じゃないと、怪物としての説得力が無いよなあ・・・」と思った。

「古典怪奇映画の風格」といえば、狼男の咆哮が村中に轟くと皆が一斉に反応するところ。ここは古典ファンとしては痺れた。これはもう怪奇映画の定番。「ドラキュラ」と聞くと村人が一斉に黙り十字を切る、といった「あの雰囲気」が見事に再現されていた。

「狼男映画の集大成」という風に言われているが、その通りだろう。
あらゆるところに過去の狼男映画のオマージュが見てとられる。怪奇ファンには、そこがお楽しみだ。

私的なことであるが、狼男が暗がりであまり見えないところ、銃の発砲などで一瞬映るその顔が、全部違うように見えた。その見えた「顔」というのが、ポール・ナスチーであったり、「吸血鬼甦る」のものであったりと「ヘッポコ狼男」のように見えて仕方なかったのである。
ここは、これから観る、またはすでに観た同嗜好の方々に注意して見てもらって、意見を聞きたいところだ。

ところで、今回狼男を追うアバライン警部というのは、実在の人物であるとのこと。切り裂きジャックの事件を捜査していたフレデリック・アバライン警部に基づくのだそうだ。これは本編の中でも触れられる。ちなみに、この人物は「フロム・ヘル」でジョニー・デップが演じている(とのこと:未見)。
もうひとつ言うと、今回この役を演じているのが、「マトリックス」シリーズでエージェント・スミスを演じていた、ヒューゴ・ウィーヴィングである。追いかけまくっているので、笑ってしまったのはここだけの話。

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