戦前、アメリカのユニバーサル社がお家芸としたフランケンシュタイン映画を、戦後にイギリスのハマープロダクションが色鮮やかな総天然色で、装い新たに展開したシリーズの第一作目。ユニバーサルが「モンスターの恐怖」を主軸に描いたのに対して、作り手であるフランケンシュタイン男爵の「常軌を逸した所業」がストーリーベースである。

幼くして男爵の称号を得たビクター・フランケンシュタインは、元来の天才気質と傲慢さで「人間の創造」という暴挙に出る。死体泥棒、臓器売買、殺人とあらゆる犯罪に手を染め、何とか「それ」を人の形にするが、蘇生した創造物は脳に傷がついたことも手伝って、醜悪にして凶暴な怪物と化してしまった。世に放たれた創造物は人を殺し、ついにはビクターの許嫁とビクターにも手をかけようとするが、寸でのところで火に包まれ、強酸槽に落ちて跡形もなく消え去った。かくしてビクターは逮捕され「ありもしない創造物」の仕業であることを告白するが、それを狂言とされ、断頭台へと送られる。

ピーター・カッシング扮する男爵は卑怯、狡猾、残忍と、人の思いつく悪を全てこなす「真正の悪人」として描かれる。己の信念に対して異様なまでに狂信的だ。

「自分はひとかどの人物で、凄いことが出来るはずだ。失敗するのは全て無理解な他人の責任。」

という困った人は現実世界でも度々見られるが、男爵はそういう人である。その男爵の目に余る行為の数々。

「買い物」から帰って来た男爵が嬉々として包みを開けると「人の手」が出てくる。
ブニョブニョした目玉をピンセットでつまんで見つめる男爵。
男爵に2階から突き落とされた老科学者が床に頭を叩きつけられる。

といった、露骨な描写が次々に登場する。

世界初の総天然色のフランケンシュタイン映画でのこと、当時の観客は卒倒したことであろう。そういう表現はそれまでに無かったのだから。

フランケンシュタイン映画につき物の「怪物」に扮するはクリストファー・リー。自らの意思を持たず、濁った眼差しでヨタヨタ歩きながら人を殺すだけ、という様は、「フランケンシュタインの怪物」というよりは、男爵の実験の「不出来な結果」に終始しており、まさにアン・デッド=歩く屍のそれであった。これはこれで説得力があって怖く、不気味だ。

この映画は、今となっては映画史の1つの事件であった。この作品を皮切りに、翌年の「吸血鬼ドラキュラ」が発表され、一大センセーションを巻き起こし、後のハマー・ホラーの隆盛、強いては60年代の怪奇映画ブームに繋がる。「吸血鬼ドラキュラ」がユニバーサルの経営危機を救った話は有名。次いで「クレオパトラ(1963)」で、倒産の危機に追い込まれた20世紀フォックスもまた、ハマーホラーの興業で難を逃れたとも言われる。

そして、ピーター・カッシングとクリストファー・リーの登場。

この映画は、戦後、映画ファンに送られた「最高のプレゼント」と言っても過言ではないだろう。