ハマー・ドラキュラ〜第三回〜


 1960年代の後半から1970年代にかけて、MPAA(アメリカ映画協会)がレーティング・システムを導入し、観客の年齢層を細かくランク別けしたことで表現が大幅に許容されることになった。つまり、大人が観る作品については暴力やセックスを大胆に扱えるようになったわけで、それは映画業界全体のムードを変貌させ、ホラー映画だけではなくアクション映画などのバイオレンス描写も日増しにエスカレートしていった。

 ハマー・プロも時代の趨勢に合わせてバイオレンスやエロティシズムをより直接的に描くようになり、ドラキュラ・シリーズ第6作の『ドラキュラ復活!/血のエクソシズム』(1970・日本劇場未公開)では、ドラキュラが女性の首に食いつくシーンをモロにスクリーンに映し出したが、しかし、それでもハマーの作品群はまだまだ上品であり、時代の波には乗り切れなかった。巷に溢れ返るバイオレンス&スプラッター映画に慣れてしまった観客の興味は、怪奇ムードを大切にするゴシック・ホラーから離れていってしまったのである。因みに、この作品はワーナーのために作られたものではなく、EMIの依頼による英国資本で製作されたものである。
 ドラキュラ・シリーズ最後の3作品『ドラキュラ ’72』(1972)、『新・ドラキュラ悪魔の儀式』(1973)、そして『ドラゴンVS.7人の吸血鬼』(1974)は、ワーナーのために撮られたハマー・プロ末期の作品である。

 時代の波には乗れなかったハマー作品ではあるが、全てその当時に他社で製作された殆どのホラー映画よりも良質であったと断言できる。特に『ドラキュラ ’72』は私のお気に入りの1本である。これは初作『吸血鬼ドラキュラ』(1958)から13年振りにクリストファー・リーのドラキュラがピーター・カッシングのヴァン・ヘルシングと対決する作品で、ファンにはこの上ないプレゼントである。ファースト・シーンのスピード感溢れる演出も小気味良く、のっけからドラキュラとヘルシングの馬車上の対決を見せられた私は度肝を抜かれた。導入部は1892年のロンドンで、死闘の末に二人は共倒れになる。ヘルシングの葬儀の模様からカメラが空へパンするとタイトルが出て、そこにジェット旅客機が飛ぶ。時代は一気に1972年へと移り、物語は復活したドラキュラとヘルシングの子孫(カッシングの二役)の対決へとなだれ込む。話の舞台が現代になったことで評価が分かれる作品ではあるが、実は古典的なユニヴァーサルの『魔人ドラキュラ』(1931)も話の舞台は公開当時の現代である。何百年も生きる不滅のドラキュラには“時間”など関係ないのである。

 しかし、作品のクォリティーとマーケットとは無関係であった。業績は悪化の一途を辿り、1979年にハマー・プロは債権者の手に渡ってしまい、映画の製作は完全にストップしてしまった。現在もまだハマー・プロという会社は存続しているが、版権料だけで生き延びているような状態である。新作映画の企画も幾つか発表しているものの、実現の可能性は乏しいと思える。また仮に実現したとしても、それはもうかつてのハマー作品とは異質なものに違いないだろう。
残念ながら、ハマー・プロの歴史は1979年をもって幕を閉じたのである。

文章/石田 一