1957年の最近のブログ記事

 50年代に隆盛を誇ったSF怪獣映画の名品。残念ながら日本未公開である。制作は『宇宙水爆戦』(1955)、『大アマゾンの半魚人』(1956)、『モグラ人間の叛乱』(1956)、『ニューヨークの怪人』(1958)のプロデューサー、ウィリアム・アランド。監督は『シンドバッド 7回目の航海』(1958)、『地球へ2千万マイル』(1957)、『H・G・ウェルズの月世界探検』(1964)といったレイ・ハリーハウゼン特撮作品で知られる、ネイサン・ジュラン。アランドとジュランは『Black Catsle』(1952)以来の顔合わせである。

 ジャクソン博士に扮したウィリアム・ホッパーは『地球へ2千万マイル』の主演俳優。劇中でジャクソン博士は「一本の骨からその生物を解析する名人」とされる。襲撃現場に残された一つの破片から、それが巨大カマキリのものであることを解析するまでの演出がきめ細かく、怪獣が登場するまでの展開はシャーロック・ホームズなどに見られるの推理サスペンスの手法をとっている。
 怪獣が登場してからは低予算映画ながらも迫力ある特撮で最後まで飽きさせない。怪獣の造型も素晴らしい。トンネル内でのクライマックス・シーンでは1/1スケールの怪獣の頭を含めたセットが組まれた。特撮担当のフレッド・ノースはユニバーサルで『凸凹フランケンシュタインの巻』(1948)や『縮みゆく人間』(1956)の特撮マンである。

 戦前、アメリカのユニバーサル社がお家芸としたフランケンシュタイン映画を、戦後にイギリスのハマープロダクションが色鮮やかな総天然色で、装い新たに展開したシリーズの第一作目。ユニバーサルが「モンスターの恐怖」を主軸に描いたのに対して、作り手であるフランケンシュタイン男爵の「常軌を逸した所業」がストーリーベースである。 

 ピーター・カッシング扮する男爵は卑怯、狡猾、残忍と、人の思いつく悪を全てこなす「真正の悪人」として描かれる。己の信念に対して異様なまでに狂信的だ。 

「自分はひとかどの人物で、凄いことが出来るはずだ。失敗するのは全て無理解な他人の責任。」 

という困った人は現実世界でも度々見られるが、男爵はそういう人である。その男爵の目に余る行為の数々。 

・「買い物」から帰って来た男爵が嬉々として包みを開けると「人の手」が出てくる。 
・ブニョブニョした目玉をピンセットでつまんで見つめる男爵。 
・男爵に2階から突き落とされた老科学者が床に頭を叩きつけられる。 

といった、露骨な描写が次々に登場する。 

世界初の総天然色のフランケンシュタイン映画でのこと、当時の観客は卒倒したことであろう。そういう表現はそれまでに無かったのだから。 

 フランケンシュタイン映画につき物の「怪物」に扮するはクリストファー・リー。自らの意思を持たず、濁った眼差しでヨタヨタ歩きながら人を殺すだけ、という様は、「フランケンシュタインの怪物」というよりは、男爵の実験の「不出来な結果」に終始しており、まさにアン・デッド=歩く屍のそれであった。これはこれで説得力があって怖く、不気味だ。 

 この映画は、今となっては映画史の1つの事件であった。この作品を皮切りに、翌年の「吸血鬼ドラキュラ」が発表され、一大センセーションを巻き起こし、後のハマー・ホラーの隆盛、強いては60年代の怪奇映画ブームに繋がる。「吸血鬼ドラキュラ」がユニバーサルの経営危機を救った話は有名。次いで「クレオパトラ(1963)」で、倒産の危機に追い込まれた20世紀フォックスもまた、ハマーホラーの興業で難を逃れたとも言われる。 

 そして、ピーター・カッシングとクリストファー・リーの登場。 

 この映画は、戦後、映画ファンに送られた「最高のプレゼント」と言っても過言ではないだろう。