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 前作『シンドバッド黄金の航海』(1973)の大ヒットを受け、同作公開中に本作の制作がスタートした。「魔法で猿に変えられた王子」は『黄金の航海』で検討された設定の一つだったが、エピソードを盛り込みすぎたため同作では見送られ、本作のプロットとして採用された。また、王子の悲壮感をより一層際立たせるために猿から比較的醜いヒヒに変更された。

【登場する怪物】
・ヒヒ 
・グール
・ミナトン
・大蜂
・巨大セイウチ
・トロッグ(独角原人)
・スミロドン(サーベルタイガー)

 登場する怪物たちはこれまでの神話系の怪物から、先史時代の生物が中心となった。シリーズ映画にありがちなマンネリズムを回避するため、「前作と同じような映画にしてはいけない」というコンセプトの下で制作されたという。
 ヒヒとトロッグ(独角原人)のアニメートのクオリティはその緻密性において評価が高いが、ミナトン、大蜂、ゼノビアがカモメに変身する特撮は幾分簡易的に作られたため、ファンからの評価はいまいちのようだ。後にハリーハウゼンは時間的制約があったことを回顧している。事にミナトンはモデル・アニメーションと着ぐるみの併用で撮影された。スーツ・アクターはスターウォーズ・シリーズのチューバッカで有名なピーター・メイヒュー。本作がメイヒューの俳優デビュー作となった。

 賢者メランシアスに扮するはイギリスの人気俳優パトリック・トラウトン(2代目ドクター・フー!)である。ハリーハウゼン映画では『アルゴ探検隊の大冒険』(1963)に続いて2本目の登板。また彼はハマー・ホラーでもおなじみの顔でもある。
 「アルキメデスは親友だった」と自称するメランシアスは、登場人物の中では最も現実主義的な錬金術師(科学者)として描かれる。「古代の数学者は魔法使いに対抗する術を心得ていた」としてアルキメデスが開発した戦争兵器に言及しており、特にローマ艦隊を太陽光と鏡でせん滅させた「アルキメデスの熱光線」を意識しているであろう、ろうそくの火を高圧エネルギーに転嫁する仕掛けをシンドバッド達に披露。その知識と能力を惜しげもなくひけらかし、嬉々とする俗物的側面を持つところが楽しいキャラクターである。

 1933年あたりから音楽が映画の演出に効果的に使われるようになった。その基点となるのが『キング・コング』(1933)であると言われている。ユニバーサルでは『透明人間』(1933)で挿入曲が多用された。映画音楽が最も扇情的に使われたユニバーサル・ホラーは『フランケンシュタインの花嫁』(1935)であろう。続く本作『女ドラキュラ』もそれに追随する事になる。これによって、前作『魔人ドラキュラ』(1931)を凌駕するほどのムードを醸し出す吸血鬼映画となった。

 音楽を担当したハインツ・ロムヘルドはユニバーサルの音楽監督で、チャイコフスキーの「白鳥の湖 (第二楽章)」を『魔人ドラキュラ』用に編曲した作曲家である。

 『魔人ドラキュラ』(1931)の後日譚として作られた本作は、ブラム・ストーカーの短編『ドラキュラの客』を基にしたものだが、この短編の映画化権はMGMが原作者未亡人フローレンス・ストーカーから取得していた。これをユニバーサルが1934年にMGMから買い上げたが、1935年10月までに制作が開始されなかった場合、権利はMGMに返還される契約になっていた。後に契約は1936年2月まで延長され、ユニバーサルはそれに間に合わせたという。しかし、内容は当該小説には似ておらず、むしろシェリダン・レ・ファニュの『吸血鬼カーミラ』に基づく物語になっている。

 この当時はシリーズ物の概念が希薄だったのか、前作とは一貫性が無い箇所が多々ある。続編というよりは、「まったく違う物語」と解釈したほうが自然。ヘルシング教授はドラキュラ伯爵殺害の咎で逮捕されるが、現場にはジョン・ハーカーやミーナもいたはずで、ドラキュラが吸血鬼であることを立証する材料などいくらでもあった。それが本作ではまったく無いことになっている。すなわち『魔人ドラキュラ』はドラキュラに止めを刺した時点で完結しており、本作はヘルシングがドラキュラに止めを刺したところから始まっている「別の物語」という解釈が出来る。
 吸血鬼という民間伝承の怪物をテーマにしながら、当時の最新技術を尽くして吸血鬼を追い込んでいくという展開で、ドラキュラを公開当時の現代にアレンジした前作に比べても、より近代的なつくりになっている。社交界では腕時計や手持ちライターが登場。ヒロインのジャネットが誘拐され、トランシルバニアに逃げ帰ったザレスカ夫人を追うヘルシング教授はじめスコットランドヤードは、テレグラフを利用した写真手配書と通信技術を駆使して、果ては飛行機を飛ばしてトランシルバニアへ向かうという凄まじい起動力を見せる。先にドラキュラ城に乗り込んだガース博士を救うべく、彼らは銭形特攻隊よろしく、自動車を飛ばして城に駆けつけるのである。つまり映画史における、ヘルシング教授のドラキュラ城初登城は「車で駆け付けた」のである。

 グロリア・ホールデンにとっては初めての主演映画となったが、彼女はこの役が決まった時に嫌悪感を抱いていたという。ジャンルとして低く見られていた怪奇映画への出演が不満だったのだ。しかし、その嫌悪感が皮肉にも「ドラキュラの呪いから逃れたい」というザレスカ夫人の役作りに寄与してしまう。結果として、この作品が彼女の代表作になってしまった。
 グロリア・ホールデンはこの作品の翌年、「ゾラの生涯(1937)」で、ゾラの妻を演じている。ザレスカ夫人とは、間逆のタイプの役なので見比べてみるのも面白いと思う。

 本作を以てユニバーサル・ホラーのプロジェクトは一旦停止した。これは上客であったイギリス映画界が怪奇映画の上映に規制を張ったためにユニバーサルの収益の減少に繋がった事と、また同社がディアナ・ダービンのミュージカル映画に力を入れるためだったと言われる。そして、この時期にレムリ一族が経営から撤退を余儀なくされ、経営者が一新されたというお家事情もあった。さらに、20年代に社会問題になっていたギャング映画の残酷描写をけん制するために1930年に制定された映画描写の倫理規制ヘイズ・コードが1935年頃から円滑に稼働し始めたこともあり、怪奇映画の在り方を見直す必要もあった。いずれにせよ本作以降、『フランケンシュタイン復活』(1939)までの3年間はユニバーサルで怪奇映画は作られなかった。

吸血狼男 - 1960年代

 ガイ・エンドアの小説『パリの狼男』をベースにハマー・フィルムが手掛けた狼男映画で、テクニカラーで製作された世界初の狼男映画である。また、オリバー・リードの初主演映画ともなった。

 ハマーのホーム・グラウンド ブレイスタジオに建設されたセットは、そもそもスペイン異端審問をテーマにしたRAPE OF SABENAの撮影用であったが、同作の脚本がBBFCの監修を通らず撮影が棚上げになったため本作に使用されることになった。このため、舞台はパリからマドリッドに変更されたという。
 狼男映画はフランケンシュタイン、ドラキュラ、ミイラ男を次々にヒットさせていたハマーで作られるのは自然の成り行きだったが、残念ながら興行成績が先達の怪物映画に比べると著しく思わしくなく、これがトラウマとなって、以降ハマーでは狼男映画が作られることはなかった。
 本作では「狼男に噛まれた者が狼男になる」というユニバーサルの設定を排除。代わりに「聖夜に生まれた子供はイエス・キリストへの冒涜として業を負わされる」という民間伝承を採用した。

 ハマー・ホラー隆盛の渦中にあった1960年代のイギリスで作られた作品で、制作、監督、脚本のハーバート・J・レダーはハマー・ホラーにインスパイアした格好で映画を制作。ことに、カメラワークと音楽効果にハマーを意識するようにと直接指示を与えている。数々の古典怪物を復活させていたハマー・プロであったが、ゴーレム物には着手していなかったので、「もしも、ハマーがゴーレムを作ったら?」という遊び心が垣間見られ、その意味で良好な結果を遺したと言える。音楽を担当したのはハマーの『怪奇ミイラ男』(1964)、『魔獣大陸』(1967)のカルロ・マルテッリ。本作の主題曲は『怪奇ミイラ男』の流用。

 セブンアーツ・プロがワーナー・ブラザーズを買収してからの初の映画作品。『怪奇!呪いの生体実験』(1967)と二本立てで公開された。

 『サンゲリア』(1980)の主人公・ピーターを演じたイアン・マカロック(ウェイン警部補役)のデビュー作である。

悪魔の宴 - 1960年代

 1968年は『2001年宇宙の旅』『猿の惑星』『Night of the Living Dead』という革命的な作品が発表され、老舗のハマー・プロはイギリス経済に貢献した一企業としてエリザベス女王から叙勲され、ジャンル映画に取ってまさに最盛期の真っただ中であった。そんな最中に制作された本作はボリス・カーロフ、クリストファー・リー、バーバラ・スティール、マイケル・ガウ、ルパート・デイヴィスといった、新旧怪奇スターの豪華共演が楽しめる逸品。ボリス・カーロフにとっては、遺作ではないが、存命中に発表された最後の作品となる。 

 H・P・ラヴクラフトの短編小説『魔女の家の夢』に基づくが、物語はあまり似ていない。(執筆中)

 ハマーのドラキュラ・シリーズ第2作。ドラキュラ死後の後日談で、ピーターカッシング扮するヴァン・ヘルシング博士が再び登場。ドラキュラの弟子、マインスター男爵一派と対決する。
 経営難に陥っていたユニバーサル社は、同社配給の『吸血鬼ドラキュラ』(1958)のヒットによって倒産を免れ、ハマー・プロに賛辞を贈るとともに続編の制作をもちかけた。プロデューサーのアンソニー・ハインズは脚本家のジミー・サングスターに『Disciple of Dracula(ドラキュラの弟子)』というタイトルの脚本を依頼。
 草稿では、近隣の学校の女生徒二人を毒牙にかけた吸血鬼マインスター男爵が村に訪れた二人の英国女性を狙い、主人公ラトゥールがドラキュラの亡霊を召喚して男爵を倒すという内容だった。このプロットではドラキュラはカメオ出演程度のものだった。
 同時にハマーは別の企画、クリストファー・リーのドラキュラ物『Dracula the Damned(忌まわしきドラキュラ)』の制作スケジュールを組んでいた。その後ハマーはピーター・ブライアンに『Disciple of Dracula』の書き直しを指示。これによりドラキュラの登場がカットされ、ラトゥールはヴァン・ヘルシング博士に変更された。タイトルは『Brides of Dracula』となる。ここではヴァン・ヘルシングが黒魔術でコウモリの大群を召喚し、吸血鬼を倒す事になっていた。さらにブライアンはサングスターの草稿での2人の女性主人公を1人にまとめた。それが本編のヒロイン、マリアンヌ・ダニエルである。ヴァン・ヘルシング役は勿論、ピーター・カッシングがキャスティングされた。
 同時にドラキュリー再登場の『Dracula the Damned』の企画は消滅。リーはハマーで着実にキャリアを積んでいたものの、この時点でハマーはリーを重要視していなかったようだ。ハマーのスターはあくまでピーター・カッシングだったのである。
 さて、ここで問題が発生する。カッシングがブライアンの脚本の「ヘルシングが黒魔術を使ってコウモリの大群を召喚する」ことに難色を示したのである。脚本はカッシングの演劇仲間の作家エドワード・パーシーに委ねられた。パーシーの修正は最小限だったが、カッシングを納得させるには充分だった。その後、BBFC(全英映像等級審査機構)の監査を経て、撮影直前に書き直すなどし、1960年1月に撮影台本が完成。

 ヘルシングが黒魔術で吸血鬼を倒すという案は後に『吸血鬼の接吻』(1963)で採用されるが、ジミー・サングスターの草稿は、ある意味で同作のプロットそのものともいえる。

 マリアンヌ役にフランスの女優イボンヌ・モンローが招かれた。彼女はフランスから母親と共に渡英、ブリテンに滞在中に『殺人鬼登場』、『吸血鬼ドラキュラの花嫁』、『Terror of Tongs』(いずれも1960年)と、立て続けにハマーフィルムの作品に出演。彼女はハマーの上層部に気に入られていたが、その理由はブリジット・バルドーに似ていたからである。この時期、ハマーではバルドーのファンが多く、本人の出演を熱望していたのだった。(※なぜ実現しなかったのかは不明)

 マインスター男爵役には無名のデヴィッド・ピールが配役された。背が低かったために底上げの靴とジンジャーキッス・カールの大きなかつらで身長を嵩上げして役に挑んだ。マインスター男爵は設定ではティーン・エイジャーだったが、実年齢が40歳だった彼には無理があったが、それでも、この狡猾にして冷酷な吸血男爵を小器用に好演した。

ミイラ怪人の呪い - 1960年代

 ハマーのミイラ男シリーズ第三作目。15年に渡ってハマー・プロの作品を生み出してきたブレイ・スタジオで撮影された最後の作品である。

 古代エジプトの回想シーンのプロローグは7分に及ぶ。ナレーションは通説ではピーター・カッシングとされてきたがこれは間違いで実際のナレーターはティム・タナーである。同じくプロローグでファラオの従者役のディッキー・オーウェンは前作『怪奇ミイラ男』(1964)でミイラ男を演じた役者。また、ミイラ男に扮したのはエディ・パウエル。英国を代表するスタント・マンで、007シリーズをはじめ華々しいキャリアの持ち主である。ハマーではクリストファー・リーのスタント・マンとして知られ、ハマー・ホラーを語る上では外せない重要人物だ。『エイリアン』(1979)のスーツ・アクターでもある。

原題にある『Shroud』とは、古代エジプトで埋葬される際の死体を包む布のことで、日本で言うところの経帷子に当たる。テレビ放映される際にはこれを「王旗」としたが、イギリスでいうところの「王旗」は"Royal Standard"となる。実のところ日本語で本作の『Shroud』に該当する適当な言葉が無い。

怪奇ミイラ男 - 1960年代

この時期のハマー・フィルムの作品のほとんどは、お馴染みの顔ぶれでホーム・グラウンドのブレイ・スタジオで作られていたが、本作はスタッフ、出演者共々ハマー作品未経験者が多く、撮影もエルストリート・スタジオで行われた。そのためか、ハマー・ホラーとしては少々異質な雰囲気を持つ作品である。主演はテレビ・シリーズ『シャーロック・ホームズ』(1954)でホームズを演じたロナルド・ハワード。ヒロインに扮するのはこの作品がデビュー作となるジャンヌ・ローランド、不死の呪いを受けたアダム=ビーを演じたのは『ハムレット』(1948)でレアティーズを演じたテレンス・モーガン。

ミイラ男のスーツアクターはディッキー・オーウェン。彼は次回作『ミイラ怪人の呪い』(1967)で冒頭の回想シーンでのプレム(ミイラ男の正体)を演じた役者である。

音楽はカルロ・マルテッリ。本作のテーマ曲は、そのまま『魔像ゴーレム 呪いの影』(1966)のテーマ曲として流用されている。

 監督のマイケル・カレラスは「ヘンリー・ヤンガー」名義で脚本も担当している。

恐竜の島 - 1970年代

 怪奇映画の殿堂ハマー・プロダクションの競合として知られるアミカス・プロが、アメリカAIPの資金援助を受けて制作された、エドガー・ライス・バロウズ原作の『時間に忘れられた国(創元推理文庫表記)』の映画化作品。
 1970年代に入ると時代はホラー映画の変革期、大手によるビッグバジェットのホラー映画が発表される中でアミカスも苦戦を強いられることになったが、満を持しての本作の成功によって、以後は低予算の怪奇映画を数多く作る制作体制から、本数を少なくして比較的制作費の高い冒険映画を製作していく方向にシフトチェンジする。

 バロウズの原作では小説の前半分が大西洋上の連合軍とドイツ海軍の攻防を通して、複雑に入り組んだ人間ドラマが描かれるが、映画ではほぼそれが描かれない。主人公のボウエンは若干22歳の造船技師で、父親の会社は世界各国に戦艦を売っていた死の商人である。かくいうU-33はボウエンが製造の指揮を執った潜水艦で、ボウエンは自分が作った潜水艦に襲われる事態を「フランケンシュタイン」になぞらえる。翻って、このような伏線があったため、ボウエンは敵艦に関してどの敵将校よりも詳しかった故、潜水艦を乗っ取ることが出来たのだった。彼は海上で救出した謎の女リサと共に行動し恋心を抱くも、彼女にはドイツ将校の許嫁がいた。それが彼らを襲ったUボートの艦長ショーエンフォルツである・・・といった具合に、小説には主人公たちが恐竜島カプローナに到着するまで、幾重もの面白いどんでん返しが用意されているが、映像化するにはこの前半のシークエンスはあまりにもボリュームが大きかった。

 アミカスはボウエン役には当初、スチュアート・ホイットマンを考えていたが、AIPが反対し、結果としてダグ・マクルーアにお株が廻って来た。マクルーアはこれを皮切りに『地底王国』(1976)、『続・恐竜の島』(1977)、とアミカス制作のSF冒険映画に出演、70年代を代表するB級映画のスターとして知られるようになる。

撮影はイギリスのシェパートンスタジオ、カプローナ島のロケーションはスペインのカナリア諸島にあるテネリフェ島で行われた。

IMDb

Wikipedia

妖女ゴーゴン - 1960年代

『妖女ゴーゴン』についての考察

(文章:乗寺嶺 善美 2016/5/30)

ハマーホラーといえば、小学生時代の夏休みの午後ローの定番でやたら見た覚えがある。「妖女ゴーゴン」はかなりリピート放映されていた。頭悪いガキなのでクソ暑い中アイス食いつつ、あーなんだよー蛇女出てこないじゃねえかとイライラしながら見た記憶がある。もうオチも知っているし、蛇女結構弱いんだよなと小馬鹿にしつつ見た。ガキなりのリアリズムがあるので、吸血鬼とか狼男をバカにして見ている時期である。ここ日本だし、ドラキュラ伯爵来るわけねえしみたいな頭の悪い理解でハマーホラーをバカにしていた。

「ハマーホラーの夕べ」で遥か昔のハマーホラーを見直して今の感性で見るとまあ、なんというかときめく設定が多い。ある程度の知識と見識があるとスタッフはこういうことがしたいのねが見えてくるので、この年になってのオレ的ハマーホラーブレイクが来ている。これは東宝の怪獣映画に感じる懐古的な物とは違う。で、「妖女ゴーゴン」を久しぶりに見てみるとなかなかいいメロドラマだった。

20世紀初頭、ドイツの片田舎バンドルフ村と、その村にある無人のボルスキ城でこの村に住みついたよそ者の画家とこの村の娘がエッチい仲になった。アタシい妊娠したの!結婚してからーのゴタゴタ後、娘が石化死体で画家は首つり死体で見つかる。画家にはリンチの跡がある。検死に立ち会ったドクター・ナマロフ(ピーター・カッシング)と助手のカルラ(バーバラ・シェリー)はまたかみたいな空気になるのだが知らん顔で、事件の経緯は画家が娘を殺害した後に自殺という結論になる。これに納得いかないのが画家の父ハインツ教授で、独自に調査していると蛇女に遭遇してしまい石化。しかしながら石化のスピードが遅かったので、もう一人の息子ポールに手紙を書く時間があった。父と兄弟を失ったポールが事件の解明に来るが助手のカルラに惚れちゃったみたいで長々とメロドラマが始まりますよという空気になる話。久々に見たら寝そうになるほどゆったり進行。まあ、そこがいいわけですが結ばれない二人の男女の悲恋モノのラブロマンスで見ると非常にいい映画ですね。

古城に居たのはゴーゴン三姉妹の一人メゲーラらしいという話になって、あれ?ゴーゴン三姉妹ってステンノ・エウリュアレ・メドゥーサだよね?アレでしょう?アテナの怒りを買って怪物にされちゃった気の毒な三姉妹。で、メゲーラってたぶんメガイラだ。こちらはエリーニュスの三女神だ。

アレークトー(止まない者)
ティーシポネー(殺戮の復讐者)
メガイラ(嫉妬する者)

だったと思う。でこの女神様達はティターン族なのでオリュンポスの神々より古い存在だ。何気に神格が上がっている。そんな古の女神様が何故20世紀初頭の古城で寂しく居るのか不明なのだが、髪が無数の蛇の怪物で見た者が石になるメドゥーサをメガイラにした理由って何だろう?たぶんこれはメガイラが嫉妬を司るからだ。同時に悪事を働く者を罰することがお仕事でもある。こう考えると最初の画家と村の娘のエッチい関係で娘の方を石化した理由が見えて来る。不道徳に密通して淫らな関係になった娘を罰したということになる。なんか理不尽なのだけど、ギリシャ・ローマ神話の神って理不尽です。うっかり何かやらしたら酷い殺され方をするか怪物にされます。あと何気に女子に厳しい。冒頭の不可解な死体のシーンって実はかなり深い意味がある。ちなみに画家は娘のパパが激怒して村の連中集めてリンチして殺したのだと思う。で、これを地元の警察は知っていて黙認している。なんてヤバい村なんだというのが非常に英国的な嫌らしい感性だ。排他的でよそ者に厳しいということはハインツ教授さんちに暴徒が嫌がらせに来るシーンでも分かる。所謂村社会独特のアレである、アレであるからもう20世紀だと言うのに怪物の存在を信じて隠していることになる。

以後のストーリーでネタバレをするとメゲーラの魂がカルラに宿っていること。ドクター・ナマロフはそれを知っていて、カルラを庇っていることで、実は彼女に愛情を感じている。ドクター・ナマロフはその状況にかなり悩んでいたということが分かる。そこの若いポールが登場である。で、急速に仲良くなる二人に不安になったのかアイツ、満月の夜になるとメゲーラになるから監視せえみたいな体でがたいのいい用心棒みたいな助手を差し向けるわけだが、この助手は殺人に躊躇がない危ない奴だったりするので、なんでこんなの雇ってんだという不思議な状況。途中でポールの恩師であるマイスター教授(クリストファー・リー)が合流する。長身に適度に着崩した風体で怪しい人である。身なりでコイツは変人という記号化をしているのだが、この人が登場したのはこの物語におけるただ一人の俯瞰で物が見える人で、理知的な視点でこの村の状況に切り込める近代人ということなのだと思う。理知的だからメゲーラは居ると仮定するとこうじゃないか?みたいな冴えたアドバイスをくれるのだが、ポールはカルラを愛しちゃっているので届かないみたいな流れになる。恋は盲目ですね。うっかりすると石化しちゃう危険な恋ですね、そら燃えますわね。

マイスター教授が教鞭をとっているライプツィヒ大学って本当にあるのかしらと思って調べるとすっげえ名門です。ライプニッツとか物理学者のハイゼンベルクとヘルツ、実験心理学のヴント、クラインの壺で有名な数学者クライン、メビウスの帯で有名な数学者メビウスが先生をやっていた大学です。そらまあマイスター教授がリアリズムの塊なのはよくわかる。あの人は遅れて来た金田一耕助のような名探偵なのだな。もう近代化の波が来ているのにまだ旧体制な社会に光をもたらす人という役割も演じているわけだ。
だからドクター・ナマロフとマイスター教授が対峙するシーンにドキドキする。近代化の光を持っているのに真実に目を背ける者と背けない者との対決だ。あの緊張感半端ない。名優同士特有のオーラであのシーンは非常にときめく。この物語は古の女神が古城に居ついたこととそこは近代化の波に乗り遅れた旧体制の村社会だったこととポールとカルラの悲恋がうまく噛み合ってないんだと思う。それでもラストの哀感漂うシーンっていいよね、誰かあの状況を救う者が居るとすればペルセウスのような勇者の資質を持った人ということになるのだろう。まあ、あの人が勇者なのかというと少々疑問だが。神に挑むということはこういうことだという落としどころで考えるといいラスト。怪奇なシーンで始まって、神話のような終わり方をするという素敵な映画ではあるんだ。

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