魔人館の住人たち

石田 一

 薄暗く鬱蒼とした森の奥に踊る魔物の影、瘴気の湧き立つ沼から這い出す異形の生物、霧深いロンドンの裏路地に翻る黒いケープ、不気味な哄笑が響き渡る深夜の病棟、狂気の手術台で誕生する怪やかしの生命体、無垢な少女の魂に取り憑く悪霊、夜の帳の向こう側で暗躍する魔界からの訪問者、現代に甦った古の呪い、平凡な家族が手に入れた曰く付きの屋敷、ありふれた日常に忍び寄る非日常の足音......銀幕を黒く染める怪奇と幻想の闇、現実と非現実の狭間に潜む恐怖と戦慄──それがホラー映画の世界である。

 英語のホラー(Horror)は日本語に直訳すれば「恐怖」であるが、逆に日本語の「恐怖」に該当する英語は他に幾つもある。そして、それぞれの言葉の持つ「恐怖の意味」は微妙に異なっている。分かりやすい例を挙げてみよう。
 深夜、自分の靴音だけが響くような寂しい路地を、ひとりの若い女性が歩いているとしよう。この状況だけでも、何かあったらどうしようと女性は不安や恐怖を感じていることだろう。この漠然とした恐怖はフィアー(Fear)と表現される。そして、細い路地の前方にある街灯の脆弱な光の中に、身動きもせずに佇んでいる男を発見したとする。家路を急ぐ女性は、どうしてもその男の前を通り過ぎなくてはならない。女性は徐々に男に近づいてゆく。今度は、その男に何かされるのではないかという具体的な恐怖が沸き起こる。これをスリラー(Thriller)と呼ぶ。そして、女性が今まさにすれ違おうと近した時、突然男がキラリと光るナイフを取り出した! この直接的な身の危険を感じる恐怖はテラー(Terror/テロリズムの語源)である。だが、ナイフだと思った物はライターの見間違いで、男はタバコを吸っただけだった。女性がホッと胸を撫で下ろした瞬間、男の姿は煙のように忽然と闇の中へ消えてしまった。闇の中から不気味に轟く哄笑が女性の耳朶を打つ......。このような説明のつかない非現実的な状況から喚起される恐怖──これがホラーなのである。

 古来人類は、自然現象を信仰の対象とする原始的な宗教や神話を形成してゆく中で、実に様々な化け物を創造してきた。人知の及ばぬ自然現象への畏怖心や、肉体的には夜行性の肉食獣に劣る人類の遺伝子の深層部に刻み付けられた闇への恐怖が、吸血鬼や狼男などの化け物を、そして神や悪魔を生み出したのである。
 だが、人類は闇に蠢く未知の存在に恐怖するだけではなく、そこへ光を照らそうとする好奇心も持ち合わせていた。魔術や錬金術が科学へと進化することで自然界の謎が徐々に解明され、移動手段の発達が禁断の魔境を精密な地図に書き換えてゆくに及んで、人々は遠く宇宙の果てに棲息するであろう異生物の存在にまで想いを馳せるようになった。しかし、光が明るく輝けば輝くほど、物陰に出来る影はより濃く黒くなる。即ち、科学万能の神話もまた、新たな恐怖や新たな魔物を育む土壌と成り得たのだ。SF映画と呼ばれる作品の殆どが、科学文明への賛歌を高らかに歌おうとはせず、進みすぎた科学や医学に恐怖し、警鐘を鳴らす内容となっているのが良い例である。

 さて、このサイトで取り上げる映画は、もっぱら「SF」「ホラー」「ファンタジー」と呼ばれるジャンルの作品群である。一般にこの三つのジャンルは全く別のものとして捉えられがちだが、実は極めてボーダーラインの不確かな、極論すれば同じカテゴリーに含まれる兄弟だと言えるのである。異論もあるだろうが、このサイトは敢えてこれら総てを同じカテゴリーで括りたいと思う。我が国では「ファンタジー」と言えば妖精や魔法使いが出てくる御伽噺のことだと思われがちだが、それらは英語ではフェアリー・テイル(Fairy tale/御伽噺)と呼ばれており、ファンタジーの一分野に過ぎないのだ。本来、ファンタジー(Fantasy/正確な発音はファンタシー)という言葉は「幻想」や「空想」の意味であり、英語圏では一般に「絵空ごと」や「非現実」を表す言葉として使われる。その意味で、ホラー映画もファンタジーの分野であるし、SF(Science Fiction)映画にしても、それが現実の科学だけを取り扱うのではなく、空想上の(物語上の)科学を描くものである以上、科学と言う名の調味料で味付けをしたファンタジーに他ならないでのである。

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