1970年代

1970⇒1979
 

恐竜の島

 怪奇映画の殿堂ハマー・プロダクションの競合として知られるアミカス・プロが、アメリカAIPの資金援助を受けて制作された、エドガー・ライス・バロウズ原作の『時間に忘れられた国(創元推理文庫表記)』の映画化作品。
 1970年代に入ると時代はホラー映画の変革期、大手によるビッグバジェットのホラー映画が発表される中でアミカスも苦戦を強いられることになったが、満を持しての本作の成功によって、以後は低予算の怪奇映画を数多く作る制作体制から、本数を少なくして比較的制作費の高い冒険映画を製作していく方向にシフトチェンジする。

 バロウズの原作では小説の前半分が大西洋上の連合軍とドイツ海軍の攻防を通して、複雑に入り組んだ人間ドラマが描かれるが、映画ではほぼそれが描かれない。主人公のボウエンは若干22歳の造船技師で、父親の会社は世界各国に戦艦を売っていた死の商人である。かくいうU-33はボウエンが製造の指揮を執った潜水艦で、ボウエンは自分が作った潜水艦に襲われる事態を「フランケンシュタイン」になぞらえる。翻って、このような伏線があったため、ボウエンは敵艦に関してどの敵将校よりも詳しかった故、潜水艦を乗っ取ることが出来たのだった。彼は海上で救出した謎の女リサと共に行動し恋心を抱くも、彼女にはドイツ将校の許嫁がいた。それが彼らを襲ったUボートの艦長ショーエンフォルツである・・・といった具合に、小説には主人公たちが恐竜島カプローナに到着するまで、幾重もの面白いどんでん返しが用意されているが、映像化するにはこの前半のシークエンスはあまりにもボリュームが大きかった。

 アミカスはボウエン役には当初、スチュアート・ホイットマンを考えていたが、AIPが反対し、結果としてダグ・マクルーアにお株が廻って来た。マクルーアはこれを皮切りに『地底王国』(1976)、『続・恐竜の島』(1977)、とアミカス制作のSF冒険映画に出演、70年代を代表するB級映画のスターとして知られるようになる。

撮影はイギリスのシェパートンスタジオ、カプローナ島のロケーションはスペインのカナリア諸島にあるテネリフェ島で行われた。

IMDb

Wikipedia

サスペリア

「サスペリア」についての考察

(文章:乗寺嶺 善美 2016/10/31)

 久しぶりに「サスペリア」を見て驚いたのは、この映画ってミステリーとして非常に良く出来ている映画だったこと。アタシ、「サスペリア」ってきれいな姉ちゃんをいたぶるのが素敵な映画としてしか見ていなかったのだけど、この年になって映画を見る目がこなれた状態で見ると、あれ?この映画凄くない?になりました。アルジェントは想像以上に世界観とこの映画におけるルールをしっかり提示している。で、ミステリーの目で読み解くと無駄なシーンが一つもないし全部説明できることに気がつきました。メモ書きで何が凄いのか書いておきます。ネタバレ上等なので未見の人は気をつけて「サスペリア」は魔女3部作の1作目。シリーズが進むと魔女三姉妹の存在が分かるようになりますがこの1作目で実は三部作への世界観がしっかり構築できている事実に今更気がつきましたね。「サスペリア」って冒頭のシーンで世界観とルールと伏線がほぼ全部提示されているのですね。

「サスペリア」はスージーがNYからドイツのバレエ名門学校に入学するために真夜中の空港から出てくるところから始まります。空港を出ると外はありえないほどの大雨。周囲は排水溝が溢れるほどの洪水状態です。散々無視されてようやく捕まえたタクシーの運ちゃんがえっらい無愛想。スージーいきなりのドイツ人洗礼で半泣きです。ここで分かる情報はこの雨は30分前からだということ。その前に空港についていたらこの大雨に遭わなかった。スージーついてないな、なのですが、雨によりスージーの状況の明確化がされます。大雨だからあの時の状況をスージーは忘れないし。大雨だからあの言葉を思い出せたということになります。異常な天候にした意味はここにあったりするのですね。やっとの思いでバレエ学校に着いて、入れてくださいとインターホンかなんかにいうと、中の人がグダグダして帰れみたいなことを言う。待たせてある運ちゃんがイライラしてクラクションを鳴らすでスージー全泣きです。スージーがタクシーに戻ると、中からパットが出てくる。パットは扉の内側に向かって、ラストへの伏線の言葉

秘密の扉

3つのアイリス

青を回して

を誰かに向かっていう。もちろんスージーにではない。スージーはここから起こる恐怖の目撃者であるということが示唆されます。そのままどこぞに走っていくパット。タクシーに乗って、今日の宿を探すスージーはタクシーの窓から森の中を振り返りながら走っていくパットを見る。場面はパットのシーンに変わる。パットはどこぞの建物に入って、友人らしい女性に会う。ここは上級生の街中の下宿先であることは後で説明される。上級生の中には寄宿舎ではなく街に下宿している人間が結構居るということまで後で丁寧に教えてくれます。何かに怯えているパットはここに泊めてもらうことにします。フランクな先輩はパットがまたやらかしたぐらいにしか思ってませんが、怯え方が尋常じゃありません。やがて一人になりたいパットは部屋から先輩を部屋から出るようにうながします。
その後、窓の外が気になるパットは窓に行きます。窓の外に何か居る!(まあ、洗濯物がヒラヒラしているのが女子のリアル風景でいいでよね)それを確認するためにスタンドの電球を近づけて窓ガラス越しに外を見ると獣の目をした何かが居る!次の瞬間、何者かの手が窓ガラスを破って、パットの顔を窓ガラスに押し付けます。不細工に顔が歪むほど押し付けられるパットのシーンって、この子を苛めてやろうというアルジェントの悪意全開です。ガラスが割れて押し付けられる状況から解放されますが、別のナイフを持った人物にメッタ刺しにされます。先輩はというと、何故かパットのドアが開かない状況に、パットの悲痛な悲鳴で半狂乱になってドアを叩くもドアは開かない。半狂乱の先輩は他の部屋のメンバーに助けを求めるけど誰もドアを開けない。パットをメッタ刺しにした人物はパットを天井のステンドグラスの上のスペースに連れて行き、パットの首にロープをかける。その後もダメ押しに何度も心臓を刺すけど、パットが何気にタフなので虫の息でも生きている。それじゃあ、と、首にロープを巻きつけたパットを突き落すと、ステンドグラスを割って有名なあのパット中吊りシーンになる。ステンドグラス越しの大きな音に反応した先輩は、1階からその様子を半狂乱で号泣しつつ見ているしかない、下に居た先輩は、パットが突き破ったステンドグラスの破片と金属片が刺さって絶命する。冒頭から2名死亡という衝撃のオープニング。ホラー映画史上に燦然と輝く残虐シーンで、当時非常にキャッチーで『サスペリア』といえばこれ、という定番のシーンになりました。しかしながら、ここまでのシーンにこの後の全てのストーリーの伏線と、あの世界でのルールが入っています。

 魔女がテーマの『サスペリア』。では、「魔女とは何なのか?」これは後半になって説明されますが、「この映画における魔女の能力とは何か?」が、実はここでわかるようになっています。魔女は何人かの人間による集会を作る必要がある。「魔女は人間とコネクトすることで力を得る蛇の頭のような存在である」と、後半でとある学者に説明されるのですが、このコネクト能力が本作で最も重要なファクターです。あのバレエ学校は、かつて魔女エレナ・マルコスが集会を開いた場所で、火事によりエレナ・マルコスは死んだという情報が後で出てきます。エレナ・マルコスは、本作では「黒の女王」でしたが、シリーズが進むと「嘆きの母」とか、「溜息の母」と呼ばれた存在だということが開示されます。この時点では「黒の女王」。あの学校は元々オカルティックな場所だった。冒頭のシーンで気になるのは大雨。スージーを追い返したのは誰か?パットは何から逃げていたのか?それは建物の高層階に窓から襲撃できる超常的な存在だ。獣の目をしていて、背が高く、屈強な腕の持ち主だ。一つ一つ読み解いていくとあれ?これ凄くない!になります。

●大雨のシーン

 魔女が天候をどうにか出来るというのはオーバースペック過ぎますので、たまたまだと思いますが、パットがとある場所から逃げただろう時間を考えると30分はかなり重要なヒントです。

●スージーを追い返したのは誰か?

 これは後で実はサラだったことが開示されます。後にスージーと仲良くなるサラがあの日、パットが話しかけた相手だったのです。で、この映画は時間に関して結構正確で、

スージーが空港から出てくるのが午後10時ぐらい

バレエ学校についたのが10時半ぐらいで、そこでパットとすれ違う。

パットと先輩が死んだのが11時前後

という情報が出てきますね。このシーンで重要なのは、サラがあの時に適当な応対をしたということは、あの時間に教員があの学校に居ないという情報です。教員は毎日学院を退出するというのが生徒の間では常識らしいというのは後で示唆されますが、教員は本当に毎日学院を退出しているのか?の重要な伏線です。結局、スージーを追い返したのは誰だっけ?と、しばらく忘れていたし、結局、有耶無耶じゃなかったっけ?とか思っていました。結構気を使っておるなアルジェント。

●パットは何から逃げていたのか?

 パットは後ろを振り返りつつ走っているので、何かに追われているという恐怖感の中に居たというのは明確です。これはラストまで見ると、パットは学院の中でアレを見たのだろう?ということが分かります。必死に逃げていたのは相手が人間ではなかったのでは?という事がすぐわかるというのは、なかなかフェアな伏線です。

●パットに危害を加えた存在は二人居る

 窓からの襲撃者と、ナイフとロープを使う襲撃者です。窓からの襲撃者のヒントは目と腕と性別。パットが窓から見た獣のような眼はエレナ・マルコスの眼。そして、窓から襲撃してパットの顔を窓ガラスにガラスが割れるまで押し付けたのは、腕毛が異様に長くて背の高い男、すなわち下男のパブロです。ガラスに顔を押し付けてそのまま割ってしまう怪力を発揮できる人でなおかつ異様に背が高い人はパブロしか居ないし、写真でやられたになりました。

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パブロの何が凄いって、階上の窓に張り付いてそのまま襲撃して来た身体能力です。これも魔女との契約の効果のひとつかもしれない。そして、エレナ・マルコスは空間を超える能力を持っている魔女ということになります。ここを理解すると後々のシーンはああ!そういうことかになります。二人目の襲撃者=確実に相手を殺す実行犯は後でおそらくコイツという形で登場します。ここで気になるのは襲撃者の動機です。魔女だから誰かを操っているのでは?だけだと半分正解。前述のコネクト能力で説明すると、気の毒なもう一人の少女が死んだ理由も説明できます。

 魔女はコネクトした相手から何かの力を得て、生き続けることが出来るらしい。何かの力を搾取するために魔女は常に支配下における集団を作る。また、このコネクトされた集団が居ないと力を発揮できないという側面もあるようだ。魔女がミサをする理由の証左になっていたりしますね。

 コネクトした相手は、ある程度支配下に置くことが出来る。コネクトした相手に優れた資質があれば、しもべに昇格。このしもべはワンランク上のコネクト相手で、従順な存在らしい。下僕は魔女の能力を把握し、支配される理由を知っている。ということは、何かの恩恵があるのでしょうね。魔女が死なない限り死なないとかそういうの。まあ、ネタばらしをするとしもべは学院の職員ほぼ全員です。魔女の支配下に居ることを自覚して、魔女の意思のままに生徒を管理している存在です。逆に生徒はコネクトされている状態に無自覚である子が大半だということになります。力を搾取するために都合のいいシステムが「バレエ学院」ということにもなりますね。コネクト能力で考えると二人目の襲撃者はコネクトされた誰かです。生徒間の事情に詳しいので、生徒の誰かだろう?ということは、このシーンだけで示唆されます。何せ、パットの逃げ場所に直行できるわけですから。パットの逃げ場所をエレナ・マルコスに報告できるのは生徒だということになります。生徒の中に、より強くコネクトされた監視者が居るというヒントでもあります。後でわかりますが、強くコネクトするにはエッチい何かがあるじゃないかな?みたいな邪な予測も出来ます。

 以上のことを考察すると、エレナ・マルコスは自身を、例えばアストラル体のような状態にして自由に飛べてどこへでも行けるということ。ただし、物理的に何かしようとする際のパワーがないので、自身とコネクトした存在に手を下して貰わないと対象を殺せないということがわかります。これにより、例えばスージーとサラがプールで会話している時に階上からすっと真上から泳いでいる二人を上から見る視線の説明がつきます。

●先輩トバッチリで死んじゃって気の毒!

 はい、これね。ガキの頃から何回も見ているシーンだけど。うわ、とばっちりじゃん!可哀想以上のシーンじゃないと思っていました。パットに構わなければ生きていたのでは?なんでわざわざステンドグラスの下に来ちゃうかな?だったのだけど理由があるのですね。なんで先輩も死ぬ必要があったのか?コネクト能力で解釈すると、どうも魔女にコネクトされない生徒が居るという意味ですね。生まれつきなのか、魔女の能力に耐性があるような子。コネクト能力で支配下に置けない存在は学院からすると素行不良らしいのですが、皆結構なお嬢様なのですよ。股のゆるい子は居るかもねなんだけど、基本ハイソなのでお上品なのですよ。でも、何かこう学院で浮いちゃう子が居る。それがパットであり、サラであるのですが、この子たちはコネクトされない、というか出来ない。で、コネクトされない存在は学院にとってノイズなのですね。さらに支配下に置けないということが学院に疑問を持つ存在だということ、非常に邪魔です。あの時、先輩がパットを向かい入れるということは先輩もアンコネクトな子ということになります。で、半狂乱の先輩の呼びかけに誰も答えない。街の下宿先の居る生徒もコネクト済みということです。アンコネクトな上に学院の秘密を見たパットともしかすると余計な情報を聞いただろう先輩をまとめて始末したという風に考えるとあのシーンは腑に落ちますね。で、わざわざ死ねる場所まで移動しちゃうということは先輩は半コネクト状態だねという想像までできます。コネクトの深度にばらつきがあるんじゃないの?は別のシーンで暗示されます。今見直して、なんてロジックがしっかりしているんだろうと感心しました。恥ずかしい話ですが、この年齢でアルジェントが見せようとしているモノを理解できました。このロジックで、あのシーンの意味がわかんないなが全部解消されるのでおいおい説明します。

 ●スージーとはどういう子だったのか?

 本作のヒロイン、スージー・バニヨンについて考えてみる。演じるジェシカ・ハーパーは『パパ/ずれてるゥ!』(1971)にちょい役で出ていたような気がするのだが、気のせいか?あどけない顔で、アルジェントが苛めたくなる性質をすべて持っている女優さん。スージーはNYからわざわざドイツのかなり田舎の名門バレエ学院に入学に来るほどバレエに熱心である子。で、かなりのお嬢様。それは例えば、タクシーの運ちゃんが大荷物を運んでくれるのは当然と思っているシーンとか、バレエ学院の生徒がお金に苦労しているところに涼しい顔で居ることなどでわかります。名門バレエ学院の寮費が週に50ドルと言われても平気な顔をしている。当然レッスン費とは別で、他に必要な授業料もあるはず。今のレートだと5,000円強だけど、当時だともっと高いはず。雨の翌日にてぶらで学院に挨拶に来るスージーはトゥシューズを持っていない。初日のレッスンの際には練習着は学院で用意があるけど靴はないから誰かに借りてと先生に言われる。靴を借りるスージーだがその際に、その靴新品だから買わない?とか借りる相手から言われちゃう。この学院ではお金に苦労している生徒が居るというシーン。同時にスージーはレッスンに靴を持参しないといううっかりさんであることも分かっちゃう。スージーが最初に会うのが怖そうな先生ミス・タナー。今見たら、アリダ・ヴァリじゃん!という軽い驚き。で、ちょっと意地悪そうな副校長のブランク夫人も、あれ?この人はジョーン・ベネットじゃん!と再度驚く。今まで全然気がつかなかったなあ。あとブランク夫人の甥っ子のまだ幼児の男子が出てくるのだが、コイツ気持ち悪いし、なんでずっと学院に居るのか意味不明なのだが、理由があるのね。あとは定番のやたらでかくて不気味な下働きの男、たぶんコイツは聾唖者。学院の先生と生徒の顔合わせのシーンで既に学院内の事情が垣間見える。サラという生徒はどうもみんなに疎まれているようだ。場の中心にいるような派手目の美少女オルガは新入生のスージーとサラに向かってこういう意地悪を言う。Sから始まる名前の人は蛇(SNAKE)なんだって!気の強いサラは反撃するが、横で見ているスージーはどうしていいのかわからない。突発的な状況にやや弱い子なのです。実はこの意地悪なセリフが何気に結構重要な伏線です。ちょっとドン臭く映るスージーはある意味可愛いのか、オルガが私の部屋でルームシェアしない?みたいな話になる。理由としては寮に空きがないから、空きが出るまで街で下宿している子に世話になれみたいなことをミス・タナーに言われた時点で世話になる気満々のスージーだが、急遽部屋が空いたから寮に来いと言われる。スージーはがっつり拒否。その時にミス・タナーに言われたのが強情な子ねというセリフ。部屋が空いた理由はなんとなくわかりますよね?とある事情で空いた部屋がしばらく使えなくて急に使えるようになったということ。パットが寮住まいだったのかは説明がないですが、隣の部屋はサラだったということが後でわかるので、二人は親しく行き来していたということは想像できます。一度はオルガの世話になる予定だったスージーですが、いつのまにか寮住まいにされてしまいます。ここの経緯がちょっと気持ち悪い。後で説明します。以上で分かるスージーという少女はアメリカ出身でわりとおおらかな子ということ。一度決めたことは曲げないこと。寮生活は子供の用で嫌だという気取ったところがあること。この時点で閉塞な空気のある学院には異質になるなと。で、間違いなくコネクトされない存在であること。これも劇中のシーンで説明されています。SNAKEのSを持つ子というのは、かなり穿った見方をするとラストシーンに繋げることが出来ます。次に今まで見ていて意味がわからないシーンを魔女のコネクト能力で解釈すると非常にしっくり来ることがわかりました。

●スージーは最初のレッスンの時に何故倒れたのか?

 スージーがレッスンの途中で頭痛を訴えるが、スパルタ気味のミス・タナーにレッスン継続されて倒れて鼻血とか出しちゃういやんなシーンって、この学院普通じゃねえなという不穏な空気を出しつつ、倒れた理由を考えてみるとこういうことだと思います。自分の中で意味不明のシーンがありまして、それは...スージーがレッスン部屋に向かう前にデブでいかにもな風体の下女っぽいおばさんと、金髪の可愛い甥っ子が居て、スージーに何か光るモノで光を当ててスージーが眩しいってなるシーンがある。この瞬間少し周囲が暗転して、一瞬だけ異世界に居たようなシーンになる。スージーは一瞬眩暈でくらっとなる状態になってすぐ戻る。...なのですが、このシーンの意味がずっとわからなかったのですよ。今見ると、これはコネクトの受信状態の確認ですね。アイツのアンテナはバリ3かな?とかそういうの。で、間違いなく圏外の女だったのです。圏外なので、鼻血と口から血が出るくらいにコネクトの拒否をしました。コネクト能力の怖さが分かる症状です。コネクト完了すると他の生徒みたいにロボットのように延々レッスンを継続できる。あのシーンの生徒って、スージーととある生徒以外は無機質なのです。普通の反応をしているのが美形の男の子フランツです。ロン毛で美形の彼は、パットと付き合っていたらしいなんてのは後でわかるのですが、スージーにとってはロマンスの相手として機能します。しかしながらフランツは貧乏気味で寮費とか色々免除のためにミス・タナーにこき使われているらしいということ。またブランク夫人の寵愛を受けているっぽいという描写があります。フランツは親切なので、スージーの宿屋に置いてある荷物をオルガの部屋まで運んでくれたり、倒れたスージーに駆け寄ってくれます。折に触れスージーの近くに現れるフランツですが、コイツが結構ヤバいのでは?は後でわかります。

●倒れた後のスージーはずっと自室で食事を取ることになる理由は何か?

 倒れたスージーが目を覚ますと、寮の一室で、オルガの部屋にあったはずの荷物が全部移動されていて、オルガからの伝言も特にないという状態。あの傲慢なくらいに上から目線でお洒落なオルガがこんなに従順に先生の意思に従うのはコネクト状態だから。同時にこれ以後目立った形で彼女は登場しません。ある程度意気投合したはずのオルガのリアクションが全くなく急に断絶状態になるのは気持ち悪いと思います。寝ているスージーに気持ち悪い医師がワインを飲めとか勧める。赤血球の不足から来る症状で、ワインを飲んで赤血球増やせとかキモい医師が言うのだが、そんな処方聞いたことがねえよ!以後、スージーは寮の生徒と食事をとることなく、自室で病人食を食べることになる。で、食事の際には必ずワインが付いてくる。ワインを飲むといつもスージーは眠くなるから何か入っているよね?スージーがレッスンの最中に訴えた頭が重いのですからのもう限界って、生理痛が劇的に重い状況が延々続く症状なんじゃねえかなって勝手に思っています。この映画ってエッチいシーンがない代わりに思春期の女子のあったら嫌なことが詰まっている気がするので。別室で食事をとるのはアンコネクトなスージーを支配下に置くための処置である。コネクトできないなら薬品で眠っとけと同時にどうにか体質改善してコネクト出来るようににしたいというのもあるかもしれない。まあ、でも強情な子ねというセリフで既にスージーは圏外の女であるということは提示されているような気もする。この時点ではスージーはかなり特別扱いを受けている印象もある。また、寮に入ってからのスージーに係る人間はサラとフランツしか居ないというのも気持ち悪いですね。あ、スージーってボッチじゃん!でその理由は、苛めではなく避けられているという演出になっていますね。避けられているのはもちろんコネクト能力支配下のせいです。

●スージーはどの時点で学院がおかしいと判断したのか?

 自分が入学する前の晩に二人の少女が不審死という時点でアタシなら入学を諦めるのだが、諦めないのがスージー。それはそれ、これはこれで押し通しても、金田一シリーズみたくまたまた人が死ぬ。入学して早々に天井から蛆が降ってくるからの盲目の出張ピアニストダニエルが自分の盲導犬に噛み殺された辺りで、何!この学校!になったと思う。この時点で隣部屋で仲良くなったサラがエキサイトして色々情報をくれる。この学校の校長の鼾を聞いたことがあるけどすっげえ気持ち悪い。で、その鼾だけど蛆が天井から降ってきた晩に皆で練習場で寝たじゃない?あの日さあ、校長の鼾を聞いたのよ、アイツ絶対この学校から出ていないはず!しかもね、誰も校長を見たことがないの。パットと自分は親友で、パットは学院がおかしいと思いそれを書きとめたノートをくれたのよ。あの晩、貴女(スージー)を追い返したのは私なの!(オマエか?と怒ってもいいぞ、スージー)学院の教員は夜は帰宅するけど、足音で確認すると外に出ていない。学院内のどこかに行っているはず。足音を数えるとそのどこかはわかるはずよ。などなどを教えてくれる。スージーはスージーでパットの最後の言葉を覚えている範囲で教える。覚えているのは秘密の扉とアイリスだけなのだが、ということはパットの声はあの時のサラに届いていなかったのか?よーし、サラちゃん核心に迫っちゃうぞで頑張るのだがサラちゃんが頑張って色々話してもワインを飲んでいるスージーは寝てしまうので、ある晩とうとうサラちゃんが行方不明になってしまう(まあ、殺されたわけですが)。ミス・タナーに言うと朝早くに退学したと言われる。しかもその音を確認したのは僕ですとフランツ(大嘘つき)が言うので、引き下がるがどんなに鈍い子でもこれは一大事ということで親友サラの親に連絡を取るが、ここで驚きサラのパパはスイス大使だった。何?あの子超お嬢様じゃない!になるわけだが、そんなお嬢様でおそらく寄付金で貢献してくれているはずの家の子まで殺すのがこの学院の恐ろしいところ。何か思うところがあるスージーはサラの友人の精神科医のウド・キアことフランクに会う。そこで、フランクの知り合いの魔女研究をしている学者さんミリウス教授から前述の魔女のことを聞く。魔女研究を専門にしている彼は、魔女はどこにでも居る存在でオカルト的な存在というより、そういう特殊な能力を持つ存在だという風にも解釈している。

 以上の情報からあの学院おかしいになって戻ってくると学院に誰も居ない。副校長が公演のチケットを生徒分買って公演に連れていったので生徒も先生も誰も居ないのだ。たまたま外出ていたスージーは本当の意味でボッチになる。下女のおばさんは居るので食事は出される。学院が信用できないスージーはその食事をトイレに捨てワインを洗面所に流す。そのワインがどう見ても絵の具のような液体なので、明らかにワインじゃない!今まで飲んでいたのは何なのか?明確にされていないけどおそらく魔女の血だろう。で、たぶん経血かなんかの不浄な血だ。スージーは核心に迫るべく、サラの情報を頼りに秘密の場所に向かう。

●最後のシーンでスージーは何故エレナ・マルコスに勝てたのか?

 足音を辿って秘密の場所に向かうスージー。ここでパットの言葉を明確に思い出し、3つのアイリスの青を回すことで秘密の扉を開ける。そこには秘密の通路があり、よく見るとラテン語とか英語でオカルトがどうとか書いてあるので何かのテーマパークみたいだ。進んだ先の部屋にミス・タナー、ブランク夫人、甥っ子そしてあの下男まで居るのを見つける。連中は何か赤いモノを飲んでいて、ブランク夫人はアメリカ娘を殺せとわめいている。アメリカ娘はどう考えても自分だろう。ああ、ここ本当にヤバいわ、でふと見つけたのが行方不明になったはずのサラの惨殺死体だった。精神的に限界のスージーの近くにあの巨躯の下男がやってくるのが見えたので急いで手近な部屋に逃げ込んだスージーだが、そここそビンゴな場所=エレナ・マルコスの部屋だった。今までの疑問が繋がっていく状態のスージー。瞬間的に彼女は火事で死んだはずのエレナ・マルコスは四百年間ずっと生きていて、今目の前にいる。そして今はこの学院の校長をしている。すべての元凶は彼女で親友のサラもパットもダニエルもおそらく彼女に殺されたことを理解した。エレナ・マルコスは薄いカーテンの向こうのベットに寝ている影で確認している。エレナ・マルコスの部屋をよく見ると魔術的なグッズだらけスージーはガラス製の孔雀の像を倒して落してしまう。エレナ・マルコスはその音で、スージーが来たことを知る。喘ぐような声と犬のうなり声が混ざったような音を発するエレナ・マルコスはまさしく獣そのものだ。すかさず落ちて壊れた孔雀像から折れた羽根の部分を掴み(これがまあいい感じの凶器になる)、それでエレナ・マルコスのベットのカーテンを開けると誰も居ない。声だけがする中、挑発するエレナ・マルコスはサラを亡霊にしてけしかける。迫ってくるサラの亡霊に怯えつつ、もう一度エレナ・マルコスの姿を確認すると姿は消えているが人型の線影が見える。その陰に向かって羽根を突き刺した時。獣の目をした焼けただれた老婆が姿を現す。エレナ・マルコスが死んだと同時に学院に崩壊が始まる。部屋の家具が激しく動き回るのは魔女パワーの暴走だろうか。コネクトが切れたしもべの皆さんは全身から出血してのたうち回っているので、魔女が死んだ途端に死ぬのだろう。たぶん彼らも必要以上に寿命が延びていたのだろうから。爽やかな顔で学院から外に出るスージー。満面の笑顔で学院を去るでおしまい。このラストシーンがあまりにもあっさりしているので、最初に見た時はなんてあっけないんだ?四百年を生きた魔女なのに弱過ぎだろう?と思ったのだが、このあっさりスージーが勝つというのは今見るとしっかりとした理由があるのがわかりました。スージーが一人だけ隔離された状態で気持ち悪い食事を提供された理由は、コネクト体質改善と共になんとかしもべにしたいというエレナ・マルコスの意思があったのでは?しかしながら結局できなかった。何故か?コネクトされない者はおそらく魔女になれる素質があること。サラもパットも魔女の素質があっただろうということ。スージーだけが特別なのはエレナ・マルコスの血を飲んでも最後までコネクト状態に出来なかったということでスージーもまたエレナ・マルコスと同じレベルの魔女の資質があったのでは?と推測できます。アレは要するに新旧魔女対決だったのですねと。エレナ・マルコスはより強い魔女に負けた。エレナ・マルコスの居場所を視認できたのは魔女だから。あの何かの光によってできた線影は魔女だから見えたのでは?と解釈するとしっくりきます。で、この光のシーンとレッスン前にスージーが変な光で眩暈を起こすシーンはリンクしていると思います。両方とも魔女にしか見えない光で、魔女なら光を見た瞬間何かの感覚に目覚めるのだと思います。そうなるとコネクトの確認と同時に魔女かどうかの確認の作業だったということにもなりますね。もういいからあのアメリカ娘を殺せになる理由もわかります。あとは「SNAKEのSを持つ子」という意味がわりと呪術的な記号として作用します。孔雀は蛇を食べてしまう鳥、つまり蛇より強い存在であの孔雀像があった時点でスージーの運命は決まったような呪術要素があったのですが、像が壊れたことで呪術が消えて孔雀で術者自体が殺されたとも取れますね。記号的な意味にこだわることもあるアルジェントらしく解釈するとこうなりますね。もう一つ穿った解釈をするとエレナ・マルコスの部屋には「プロビデンスの目」に似たシンボルがありました。今思うに、魔女というのはあの頃から居て、大衆を操れる人間だったというのは想像力過多かもしれませんが、コネクト能力である程度の数の人間を支配出来るからピラミッドも出来るのだよみたいな魔女の世界観がどこかにあるのかもしれませんね。アルジェントはこういうことまで考えていそうな空気がありますね。最後に満面の笑顔で去るスージーのふっきれた感じって、サラ!アタシやったよ!じゃなくて、アハハハ...最高!...そうかアタシは魔女だったんだ!の笑顔と解釈するのが正解な気がしますし、その方がカッコいいですね。

 アリダ・ヴァリとジョーン・ベネットが出演していることで映画としての品と格式が多少上がって、ゴシックな空気が増すというのはいい演出だと思います。この二人が居ないと名門バレエ学校の雰囲気が出ないのだろうな。

 自分の中で長年意味が分からないシーンを今更理解したという考察。あのシーンって結局何なの?シーンが複数あるのですよ。それは...

●学院の天井から蛆が降ってくるシーン

●ダニエルってなんで死ななければならなかったの?また自分の盲導犬に襲われたのは何故?

●サラを殺したのは誰なの?

の3つですね。でも10月29日の上映で見直してみて、あ!そういうことか!になりました。以前から「サスペリア」は何度か見ているのですが、適当な映画だなという意味でこの3つのシーンを深く考えたことがなかったのですね。アルジェントが適当なことをする監督じゃなくて、意図が読めない自分も悪かったなと。いやでも分かりにくいよ、アルジェントという評価は崩しませんよ。

●学院の天井から蛆が降ってくるシーン

 アルジェント好みの女の子が蛆にキャアキャアするだけのシーンだと当初は思っていました。結局蛆の発生原因って、最上階だかにある食糧庫のハムとかが腐って蛆が大量発生してそれが天井から落ちてきただけの話ですしね。腐っていたのが人間でしただとかなり衝撃的ですが、さすがのアルジェントもそこまで支離滅裂ではありません。ルチオ・フルチだと平気でやりそうですけど。ですが、コネクト能力で解釈するとこうなります。この時点でアンコネクトな存在はスージーとサラとおそらく盲目の訪問ピアニストのダニエルです。たぶんアンコネクトな存在が複数居るとノイズが強すぎてコネクトに齟齬が生じる。食料が腐るのはコネクト能力が正常に機能していない故の事故のようなモノなのでしょう。これは先生方も予想外らしくて、普通に何だこれ?みたいな対応でしたし、この状況で一番難色を示しているのはエレナ・マルコスでしょう。アタイのコネクトが邪魔されてんぞ、こら!みたいな感じだと思います。スージーは最初のレッスンで倒れた時点で、あ、コイツ受信装置に難があるから調整しよう体で特別メニューを与えている最中ということで、しょうがないとしてもあと誰?ダニエル?アイツな邪魔だなになったということなのかなと思いました。サラについて保留だったのはパットから受け継いだ情報の確認でしょう。いずれは殺す予定だったが今現在は保留。ダニエルが殺される流れへの布石のシーンかもなと思いましたが、もう一段階想像力を飛躍させるとこういうことでは?の説がこれです。エレナ・マルコスのコネクト能力を妨害するほどの魔女がこの学院に来ている。今までなかったことが特定の存在が現れることで急激な変化として現れることが蛆の発生と考えるとこれもしっくりきます。ごく最近来た新しい存在はスージーだけです。エレナ・マルコスでさえもスージーの存在をこの時点ではまだ過小評価していたと思いますが、スージーが出す無意識の魔女パワーとエレナ・マルコスのコネクト能力が干渉し合った結果が急激に食料が腐る事故になったと考えた方がカッコいいですね。蛆のシーンは絵的にキモいだけでなく何かの前兆を示すシーンだったわけですね。

●ダニエルってなんで死ななければならなかったの?また自分の盲導犬に襲われたのは何故?

 このシーンもかなり唐突で謎だったのですよ。盲目の訪問ピアニストのダニエルは常に盲導犬のシェパードを連れていて学院に入るときは外に犬を繋いでいる。で、その犬がブランク夫人の甥っ子に噛みついて怪我したのでミス・タナーがブチ切れて、クビだ!出ていけになって喧嘩状態でダニエルが出て行き、その後ビアホールからの帰り道に広場で何かに怯えて吠える盲導犬を窘めている内にダニエルは周囲に何かの存在を感じたが、それが何かわからないままに愛する盲導犬に噛まれて死んでしまう。これもコネクト能力で考えるとアンコネクトの彼はノイズだから追い出した、蛆の原因はコイツじゃねえのか?という判断でもあるのでしょう。殺した理由は...僕は目が不自由でも耳は良いんだ。こんな呪われた所なんて出て行ってやる!という捨て台詞から推測するに耳のいい彼は学院内のことをある程度把握していたということでしょう。外に出ない教師の存在と獣のような鼾をかく何者かの存在を知っていたのと、学院自体のいわくについても知っていたということで殺されたということだと思います。自分の盲導犬に襲われたのは何故?「サスペリア」での殺人のルールとして何か超常的な存在の目で所在を確認される、次に物理的な攻撃が出来るコネクトされた存在を使って直接手を下すの順序で行われるがあるのですよ。ダニエルの場合は犬です。犬をコネクト状態にしたのは甥っ子だと考えると筋が通ります。学院における甥っ子の役目はコネクトのアンテナ付けますかもしれませんね。途中まで味方だった犬が急にダニエルを襲ったのは近くに超常的な存在=エレナ・マルコスが来たからです。このシーンの不思議なところとして、空から何かが見下ろしている視点でダニエルを追うシーンが続くのがあるのですよね。空間を移動している、もしくはある程度の質感がある生霊のような状態のエレナ・マルコスが来ていたということでしょう。(エレナ・マルコスはパットを窓に押しつける程度のパワーはある)エレナ・マルコスが近くに来ることでコネクトが正常に発動します。この理屈で考えるとパットの襲撃に二人必要だったこともわかります。寝たきりの状態のエレナ・マルコスですが魔力を使って対象の確認をしないとコネクトされた殺人者を派遣出来ないということにも取れますね。

(以下 2019/03/10訂正)

前にも書いたけど盲目だからです。ブランク夫人の不気味な甥っ子がスージーに光を当てるシーンがあってあれがコネクト状態の確認をする役割で、圏外の女スージーは、レッスン中に倒れてしまう。光は視覚情報として体内に何らかの洗脳効果をもたらす物として入ってくるわけだけど、ダニエルは盲目なので分からないわけですね。盲目だから放置していたという事だと思います。でも耳がいいからね。学院内のことは耳で察知していたし、あの野郎面倒臭いで殺されたという事だと思います。盲導犬が急に襲ってきたのは、甥っ子がコネクト回線を直で結びに行ったから甥っ子が犬に噛まれたという情報があったでしょう?犬は大好きなダニエルのために抵抗したのでしょうが支配下に置かれた。ダニエルが襲撃の際に空から何かが来るのを聞いていて、必死に上を見ているシーンについてもエレナ・マルコスがアストラル体/で見ているからということで説明がつきます。エレナ・マルコスは手を下す際には直で見ないときが済まない気質のようですね。

(訂正ここまで)

●サラを殺したのは誰なの?

 「サスペリア」での殺人のルールで行くとエレナ・マルコスともう一人コネクトされた存在が居る。サラの場合は、一緒に居たスージーが寝てしまい。怯えた状態にいたら何者かが部屋の外に迫っている気配を感じたということでこれはコネクトされた存在の襲撃です。同時に俯瞰で彼女を追っている視線があるので、学院内というエレナ・マルコス所掌の領域に居ることで追うのは簡単でしょう。ここでコネクトされた存在が後ろ姿がしっかり映るシーンが出てきます。後ろ姿で判断すると美形の兄ちゃんフランツです。サラを追い回した後、剃刀でドア鍵を開けようとするところを見ると襲撃者は一人だろうということになりますね。で、逃げ回ったサラが無数の針金に絡まって悶えているところにやって来て殺したのもおそらく彼です。物理的な攻撃を出来るのは人間というルールで考えても彼でしょう。同時にパットを殺したのもおそらく彼です。ただコネクト状態でコマンドを与えられた彼は殺人の記憶がないのかもというのはありますね。無意識にコネクトされて動かされているから殺人をしたという意識はないということかもしれませんが、通常コネクトでも彼は学院内のことをスパイしているだろうからやっぱり嫌な奴ですよね?フランツはその後、サラについて嘘の証言をスージーにするのでコネクト強めの協力者ということでしょう。パットとサラを殺したのは誰かは劇中に明確に示されません。で、このフランツは最後のシーンには居ません。なんて適当なと思いますが、彼が最後のシーンに居ないのはコネクトされた学院の生徒全員は公演を見に行くという名目で全員居ないからです。だからフランツが居たらおかしいのです。ここでフランツが居たら、ヤツはしもべということでワンランク上になっちまいますので、あくまで下僕と考えると居ないが正しいになるのですね。こう考えると魔女にも出来ることと出来ないことの枷があるから魔女はどうしても人間が必要という理由になるのだながわかりますね。驚くほど設定がしっかりしています。ダニエルの上を何かが飛んできているかのように俯瞰で見せるシーンって長くてイライラするのですが、あの長いシーンに意味があって、探しているんだな、正確な位置を。で、コネクトの調子を見ているということなのでしょうね。親切にも何かの影が建物に映るシーンまであるのでエレナ・マルコス来ているよが良くわからるシーンでもあるのですね。あとなかなか犬がダニエルを噛まないので見ていて、いつもイライラするのですが、相手が犬なのでコネクトがなかなか繋がんねえな、畜生だもんなで解釈すると面白いですよ。

 「サスペリア」って何者かの視線について、割りとフェアに伏線を張っていますね。瞬間、瞬間にスージーとサラを見ている視線の主はエレナ・マルコスかコネクト状態のフランツのどちらかです。蛆の事件後に練習場で寝ている時とプールで泳ぐ二人を見ていたのはたぶん人間のフランツ、精神科医のフランクに会うためにとあるセンターに向かったサラを遥か上から見ているのはエレナ・マルコスというように細かく演出していますね。

●学生寮・学院内の構造

 わりと見逃しがちな設定。「サスペリア」を見る度に思うのが、学生寮内の構造なのです。あそこ変でしょう?まず階段の構造が変。両側から昇れるようになっているけどエッシャーのだまし絵みたいになっているじゃない?あの階段の上ってどうなっているの?のシーンが結局ない。全体的に退廃的なムードが漂うアールデコのような装飾がいっぱいのお洒落な空間。で、1階にはエレベーターがデンとある。このエレベーターを使用しているシーンがほとんどない。教師もまず使わないし、生徒もぜったいと言っていいほど使わない。そもそもエレベーターが必要なくらいの階の建物でもない。でも誰かのためにあるはずの目で見ると一度だけエレベーターの扉が開いて中が見えるシーンがある。エレベーターの中にはお洒落な椅子がある。ここで分かるのはこの学院には足腰の弱い何者かが居て、その者はエレベーターに乗る間の短い時間でも椅子が必要な人間である。その者の存在を示唆するアイテムとしてエレベーターが機能しているという設定は細かいなと思います。建物の細かい設定としてはブランク夫人の居る部屋が面白いのですよ。あの部屋は斜めに机が置いてあって、見かけよりスペースが狭いのを無理矢理に錯覚で広く見せているのですね。あの部屋にこそ秘密があるのですが、何かのスペースを隠すためにわざと錯視効果を狙っているという設定は見落としがちなギミックです。で、あの部屋の装飾であのバレエ学院は呪術的な舞踏から派生しているみたいなことがわかるようになっていますね。あの学院が気持ち悪いなと思うのは壁が赤いこと。アルジェントが赤好きだしなということを考えるとまあそうかなんだけど、なんか地中海辺りに赤い壁の建物多いじゃない?でもあそこドイツだしで長年なんだ?あれは?だったのですがこれも今更わかりました。エレナ・マルコスはギリシャから来た魔女です。それならああいう壁にしちゃうわな。400年前の感じだといっちゃんお洒落だしな。こういうところの関連付けまで考えているアルジェントすげえになった瞬間。余談ですが、足音で秘密の場所をさぐろうとしているサラが「アリアドネの糸を手繰るようね」とニコニコ顔で言うシーンがあったりするので、ギリシャだよ、この魔女の起源はギリシャみたいなのを殊更に強調している感じもありますね。関係ないけど「ハマーホラーの夕べ」で見た「妖女ゴーゴン」がギリシャ・ローマ神話の怪物なのに何故かドイツの古城に来たというのも本作と似ていて面白いです。何か関連性があるのでしょうか?エレナ・マルコス、ギリシャからドイツまで来て魔女やるよに何か民俗学的なモノがありそうな気もしますね。あとまあ魔女三姉妹はゴルゴーン三姉妹からですだったりするんかね?

(2019/3/10訂正)

●学院の構造がおかしいと書いたけど、おかしいのは寮だった。

冒頭で何かから逃げてきたのはソフィアの居る寮。で、寮の階段がエッシャーの騙し絵みたいになっている。
寮のエレベーターにはお洒落な椅子があるということで、椅子の必要な人は誰でしょうね?だった。あの椅子を使う人が訪問するので、あそこに居る生徒もコネクト支配下にはいっているという事です。

学院の構造が変ですわねになるのは、ブランク夫人の居る部屋で、あの部屋は手前に広がっている台形のような形をしているのでは?という推測出来ます。外からみるとスペースがもっとあるのを錯視効果で分からない
ようにしているのでは?と思います。アイリスを回すと秘密の通路に行けるのですが、これ前にも書いたと思うけど、胎内くぐりです。あの学院自体が魔女の胎内で、胎内をくぐるとエレナ・マルコスの居る部屋に行ける。建物に沿って螺旋のようにくぐると思うので蛇の胎内でもあるという意味だと思われます。通路に沿って呪文のように書いてある文字はあんまり意味がないと思うけど、呪術的効果があるという意味はあるのでは?
魔女の素質がない子はそもそもあの通路のことを考えないし、入れないのではないかなと思います。更にいうとコネクト支配下の子は青いアイリスが青く見えないかもと思っています。アイリスが青く見えるのも魔女の素質のある子だけ。

 「サスペリア」をミステリーを読み解く視点で理解するとロジックの凄さに驚くのですが、これを説明してくれるキャラが劇中に居ないので伝わりにくいがあると思います。特に「サスペリア」は状況の動きでこういうことだねをいちいち考えないとダメみたいです。探偵みたいに劇中の人物だけでなく観客にまでわかりやすく状況を教えてくれるキャラを配置してくれればねとは思いますが、「サスペリア」は居ない方が面白いというのをはっきりと認識しました。これね、ラストまで見ると「BIRTH OF THE WITCH」ストーリーで魔女は誰かを犠牲にして輝くという風に考えた方がカッコいいのですね。たぶんね、劇場版「エコエコアザラク」のパート?である「エコエコアザラクII -BIRTH OF THE WIZARD-」は「サスペリア」にめっちゃ影響を受けていると思います。両作品の内容でなくて、魔女誕生のプロセスで考えると実は同じだと思うのですね。

 「サスペリア」は雨で始まって、雨で終わるというのが好きなんだよなあ。最初の雨はエレナ・マルコスの魔力で、ラストの雨はスージーの魔力で降ってきたと解釈するとラストの雨は新魔女誕生の祝福の雨なのだね。

悪魔のワルツ

 都会に潜む悪魔崇拝の蔓延は『ローズマリーの赤ちゃん』(1968)を踏襲したもので、それに似たような内容との声もあるが、これはそうではなく、同作で「都会には悪魔崇拝者が蔓延しているのだ」というラストを迎えたところ、本作ではその事実が常態化した社会の中で起きた一つの事件として描かれているわけで、そういった意味では『ローズマリーの赤ちゃん』と『悪魔のワルツ』は地続きなのである。つまり「舞台が同じ」という解釈に立たなければ『悪魔のワルツ』の真価を見出すことは難しい。
 愛する人が人知れず何者かと入れ替わっている恐怖はまるで『SF・ボディスナッチャー』のプロットだ。本作では、宇宙人ではなく悪魔と契約し、その力を借りることで魂の置換を行う。魂の置換といえば、ハマー・ホラーの『フランケンシュタイン 死美人の復讐』(1967)でのテーマでもあった。しかしこちらは宇宙人でも悪魔でもなく、フランケンシュタイン男爵の「人が死ぬと魂はどこへ行くのだろうか?」という形而上学問題から「魂が物理的事象ならば捕獲することが可能なはず」という仮説を立てた上で編み出した方法によってあくまで外科領域で魂の移植が行われた。
 窮地に陥ったピアニストが己の才能を維持するために悪魔的な方法でそれを成し遂げるいうのは、モーリス・ルナールの長編小説『オルラックの手』を原作とした『芸術と手術』(1924)や『狂恋』(1935)にも通ずるものである。こちらは両手を失ったピアニストが死刑囚の腕を外科移植され、殺人を犯すという物語であった。こう並べたてると『悪魔のワルツ』は過去の映画ですでに使われた材料のツギハギのようにも思えるが、実のところそれらはたいした問題ではない。物語の骨子は、悪魔崇拝の蔓延がすでに常態化している中で、ある日突然、理不尽に夫を奪われた妻が悪魔崇拝者に仕返しをするという復讐劇である。ジャクリーン・ビセット扮する妻ポーラの活躍はまさに"ダイ・ハード"張りの壮絶なもので、その点はアクション映画並だったと言っても過言ではない。ところでなぜポーラは人格が変わってしまったにもかかわらず、そこまで夫に執着したのか?妻の夫への愛は本物であったのだろうか?否、「中身が誰であれ、もう一度あの腕に抱かれたい」、妻はSEX狂でもあったのだった。げに恐ろしきは女の執念なり。

 『ローズマリーの赤ちゃん』に始まった悪魔崇拝者の暗躍を描いた映画ジャンルは、本作の後、大ヒット作『オーメン』(1976)へと継承され、地味ながらも連綿と現代に受け継がれている。

 1970年代に入って大手映画会社が大作志向のSF/ホラー映画を制作するようになり、それまでジャンル映画を得意としていた中小企業の制作会社は軒並み映画制作からの撤退を余儀なくされた。ハマー・フィルムもまた類に漏れず、映画制作の存続に窮していた。ハマーの社長マイケル・カレラスはもはや旧態依然としたSFや怪奇映画では稼げないと判断して新規分野の開拓に目を向けていた。その一つが戦前ヒッチコック・サスペンスのリメイクだったのである。
 アルフレッド・ヒッチコック監督の『バルカン超特急』(1938)のリメイクの企画は1973年にアメリカのテレビムービーの企画として発表されていた。これが映画作品『レディ・バニッシュ 暗号を歌う女』となって結実するまで実に6年の月日を要するのだが、その間にハマーの資金難は改善されず、『レディ・バニッシュ』の制作もスポンサーの撤退や制作費の増幅に悩まされ続けた。にもかかわらず、ハマーは『レディ・バニッシュ 暗号を歌う女』を立派なサスペンス・コメディとして、また、ハマー・フィルムの作品史上もっとも豪華な作品として完成させた。製作費はハマー作品史上最高となる200万ポンド(一説では250万ポンド)。これはひとえにランク・オーガナイゼーションが配給を承諾したおかげに他ならない。しかしながら、前述の通り本作の企画は1973年から出ていたが、映画公開までの間にイギリスを中心に世界的なミステリー映画ブームが起きた。アガサ・クリスティ原作の『オリエント急行殺人事件』(1975)、『ナイル殺人事件』(1978)、『クリスタル殺人事件』(1980)、『地中海殺人事件』(1982)、そして、ヒッチコック作品のリメイクでも『三十九夜』(1978)が作られ、本作はそれら競合作品にうずもれる格好となってしまった。また、名作映画のリメイクであることも仇となり、当時の映画評論家の格好の餌食になったことも否めない。

 本作は1978年12月にクランク・インしたが、それより前の同年8月、ハマー・フィルムは80万ポンドの負債を抱え、融資を受けていたPFS(パーソナル・ファイナンス・ソサエティ)によって口座を凍結させられてしまった。「ハマー・フィルム・プロダクション」は、「ハマー・フィルム・リミテッド(有限会社)」と名を変え、負債の残務処理を引き継ぐ格好となった。1979年4月30日、マイケル・カレラスはハマー・フィルムの社長を辞任。その3日後の5月2日、ハマー・フィルムは破産管財人の管理下に置かれることになった。『レディ・バニッシュ 暗号を歌う女』がロンドンでプレミア公開されるのはその3日後の5月5日であった。本作の監督はインド出身のアンソニー・ペイジ。映画監督であると同時に舞台演出家でもある。1997年にイプセンの戯曲『人形の家』の演出でトニー賞を受賞することになる実力派。リチャード・バートン主演の『告白の罠』(1978)を撮り終えた直後、『レディ・バニッシュ』撮影開始の僅か6週間前に監督をオファーされたという。

 主演はエリオット・グールド(『破壊!』『ロング・グッドバイ』『カプリコン・1』『オーシャンズ11』)と、シビル・シェパード(『タクシードライバー』『ワン・モア・タイム』)。フロイ夫人に扮したアンジェラ・ランズベリーは70年代前半には映画界から離れており、『ナイル殺人事件』(1978)で映画界に復帰、そして復帰第二作目が本作、その次が『クリスタル殺人事件』(1980)で、奇しくもアンジェラ・ランズベリーのキャリアにおいて、ミステリー三部作となっている。ハーツ医師のハーバート・ロムはハマー作品では『オペラの怪人』(1962)以来の出演となる。この当時はピンク・パンサー・シリーズのドレフュス役ですっかりお馴染みだった。

バンパイアキラーの謎

AIPとアミカスの提携作品として製作された、ピーター・サクソンの小説『The Disorientated Man(混乱させられた男)』(1967)の映画化作品。原作には忠実だという。

ジョギング中に何者かに隔離され、四肢を次々に奪われていく男。冷戦下における東西諜報部の情報の奪い合い、世間を騒がす猟奇連続殺人、といった、一見無関係に見える事象が交錯し、物語が進むにつれて一つの大きな陰謀にたどり着く。

 原作では事件はエイリアンの陰謀であることが明らかになり、映画もラストはエイリアンの存在を明らかにするものだったが、結果的にそれらの要素は全てカットされ、黒幕の正体は不可解なままにされ、正体不明の優等民族の存在が仄めかされる。ヴィンセント・プライス、クリストファー・リー、ピーター・カッシングの三大怪奇スターの共演が嬉しい。三人が同じ場面に勢ぞろいしないのは寂しいところだが、それぞれのエピソードの頭領としてその存在感を発揮している。悪役のコンラッツとその上司ベネデク少佐(ピーター・カッシング)のシーンのやり取りは、ダースベイダーとターキン総督を彷彿させるもので、考えてみれば、コンラッツに肩に触れられただけで死んでしまうトボけた設定もフォースに見えなくもない。また、優等民族が人間をスクラップ・アンド・ビルドすることで優秀な合成人間に作り替え、それを軍隊にする計画を示唆し、劣等人種である人類を粛清し、優等民族の世界を目指す帝国軍的な優生思想など、深く分析していくと『スターウォーズ』の原型がそこにはあるようにも思える。

 事件を捜査する検死官ソレルに扮するのはクリストファー・マシューズ。ハマー・ホラーのファンには『ドラキュラ復活!血のエクソシズム』(1970)のポール役でお馴染みだ。ハマー・ホラーと言えば『恐怖の吸血美女』(1971)の女吸血鬼ミアカーラに扮したユッテ・ステンスガード、『吸血狼男』(1960)、『ドラキュラ血の味』(1969)のピーター・サリスも顔を出している。

未来惑星ザルドス

 難解と思われると判断した監督のジョン・ブアマンは、内容を補てんするためにアーサー・フレインの解説をプロローグとして挿し込んだが、それでも難解さは回避されなかったという。
 「ザルドス(Zardoz)」は『オズの魔法使い(Wizard of Oz)』を語源とする造語で、発音は「ザードス」の方が近い。

 制作費は僅か100万ドルという低予算で、そのうちショーン・コネリーの出演料は20万ドルだった。コネリーのギャラは監督のジョン・ブアマンが自腹を切って支払われた。

 神殿(指輪)の声を担当しているデヴィッド・デ・キーサーはアフレコのキャリアが多く、ハマー・ホラーの『吸血鬼サーカス団』(1971)のミッターハウス伯爵の声(呪詛の台詞しかない)や、『ドラゴンVS.7人の吸血鬼』(1974)のドラキュラ伯爵の声を当てている。

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燃える昆虫軍団

 劇場にホラー映画と連動したドッキリ・ギミックを仕掛けたり、映画を観てショック死した観客に保険金を払うと大風呂敷を広げたりと、そのショウマン・シップで知られたプロデューサー、ウィリアム・キャッスルの遺作となった。キャッスルはこの映画で虫が這う感覚を体感させるために客席に観客の足元をブラシでこするギミックを考えていたがこれは実現しなかった。
 監督は『ジョーズ2』(1978)、『ある日どこかで』(1980)、『スーパーガール』(1984)で知られるヤノット・シュワルツ。

 70年代の動物パニック映画ブームに乗って製作された一本であるが、昆虫をミュータントとして描いているSF映画でもある。「放火習性のあるゴキブリ」というと非常にバカバカしい趣ではあるが、架空の原始生物でありながらその生態が非常に細かく設定されており、それを利用して2段階の進化を遂げる過程の演出は実に丁寧だ。同時に、一介の生物学者に過ぎなかったジェームスが新種開発に手を染めるマッド・サイエンティストへと変貌していく様も、冒頭の教会、信心深い妻、聖書、といった「神」のキーワードと相まって、「科学の暴走」を示唆することになる優れた演出。

 ジェームスを演じるブラッドフォード・ディルマンは70年代には本作の他に『大襲来!吸血こうもり』(1975)、『スウォーム』(1978)、『ピラニア』(1978)と動物パニック映画に次々と出演する。

 クライマックスで惨死するキャリーの友人、シルヴィアに扮するは『悪い種子』(1956)の名子役、パティ・マコーマックである。

ヘルハウス

 リチャード・マシスン原作の長編小説「HELL HOUSE」の映画化作品。
legend_hell_house.jpg 心霊を「有機体」とし、あくまで実存するものとして描いているところにこの作品の面白さがある。このベラスコ邸は、その家の主ベラスコの怨霊に支配されている屋敷であり、その秘密を探ろうと訪れた者はことごとく、殺されるか気が狂うか、どの道五体満足では帰れない恐ろしい屋敷だ。
 このベラスコ氏は、「吠える巨人」の異名を持つ、身長2メートルの大男と言われている。しかし、実は短足の小男であった。そのコンプレックスを誰にも知られたくない。よってベラスコ邸は、その秘密を徹底的に守る要塞と化していた。
 実は、この秘密がこの映画の大オチなのだが、どうももう少しひねりがあるようだ。
 この映画の面白いところの一つは、同時期の「エクソシスト(1973)」が、「存在不明な悪霊」を聖職者が悪魔払い(暗示)することなのに対して、「実存的な悪霊」を科学的に解明しつつ、機械の力で除霊するところである。この機械には実際「除霊」する機能がある。そして一応の除霊に成功したバレット博士は除霊した後に命を落とす。除霊しきれていなかったのだ。ベラスコの方が一枚上手でベラスコの霊の拠点となる部屋は鉛で覆われており、この機械の効力が及ばないのだ。
 ところで話はちょいと飛ぶが、ベラスコは自分の足が短いことを気に病んで、両足を切断し、長い義足をつけていた。では、これを本当に未来永劫、隠ぺいしたかったのだろうか?実はそうではない。映画の冒頭にベラスコが吹きこんだレコードが出てくる。

「お探しの物はこの屋敷にある。」

探せと言うからには、探させる意図がある。 ここから「ゲーム」が始まる。ベラスコは人に危害を加える時に必ずヒントを残す。それが「足」だった。つまり巨人と言われたベラスコは、実は自分がチビだったことを本当に「コンプレックス」に思っていたのではなく、それを謎の「答え」にしたのだった。

最後に謎を解いたフィッシャーは
「ベラスコは天才だったのかもしれない。除霊する機械が出てくることを予見したのだから」
という。でもこれもある意味違う。ベラスコの立場になってみると、あれだけ厳重に防衛した謎を解ける者は当分出てこないはずで、謎が解かれる前に(実存的な)霊魂を排除する機械が開発される可能性を考えると、ゲームは未完のまま終わってしまう。 だからそれを視野に入れた仕掛けを作るのは理にかなっている。

 このゲームの最後の「呪文」は「お前は本当はチビだろ!」であり、ベラスコにとってこれは「誰にも知られたくない秘密」だったのではなく、ベラスコが用意した「解答」に過ぎなかったのである。 謎が解けた後は、除霊されてもかまわない。だから「チビ」とののしられた時に部屋のドアが開いたのである。 そして部屋にあったベラスコの死体は「解答の証明」にどうしても必要だったのだ。本当に身長の低さを知られたくないのならば、義足をつけた自分の死体を保存しておくはずが無い。(私だったら火をつけて屋敷もろとも消滅させるわい。)で、このゲームは、間違った解答を出した者は命を落とすか大けがを負うことになっている。霊媒のフロレンスは勘違いして命を落とした。バレット博士はしょっぱなから方向性を違えていたので殺された。助かったのは謎を解いたフィッシャーと、バレット博士の奥さんの二人だ。フィッシャーは用心しながら事件の根幹を探っていた。奥さんは恐らく、ベラスコ自身の霊媒であり、謎解きの撹乱役、いわばゲームの仕掛け人でベラスコの協力者である。こう考えると、ゲームに参加していたのは3人で、謎の解明に向かっていたのはフィッシャー1人であり、フロレンスはご都合主義で簡単な解答に収まり、バレット博士はゲーム自体を壊そうとして失敗したのである。・・・と、私はこの映画をこう解釈した。

 ところで、この映画の監督は、ハマーで数本監督作品を残したジョン・ハフ。ハマーのスタッフが技術指導したとも言われている。
 些細なことであるが、この映画には「吸血鬼ドラキュラ(1958)」のオープニングで登場した鷲の彫刻とそっくりな物が出てくる。どうも見たところ、同じ物のようだ。新造したとしても似すぎているのである。「使いまわし」と考えた方が自然だ。 ベラスコの死体役がマイケル・ガウで、しかもノン・クレジットの出演。 ハマーファンは、ベラスコの死体が出てきた時にひっくり返る仕掛けになっている。

非常に曲者な作品なのだ。

ドラキュラ 

 1977年10月にニューヨークのマーチン・ベック・シアターで上演された舞台劇「ドラキュラ」のヒットを受けて、舞台でドラキュラ伯爵を演じた、フランク・ランジェラを招いての映画化。監督は『サタデー・ナイト・フィーバー』(1977)、『ブルーサンダ―』(1983)のジョン・バダム。音楽はジョン・ウィリアムス。ドラキュラを迎え撃つヘルシング教授が、ピーター・カッシングの師匠にあたるローレンス・オリヴィエ、相棒のセワード博士がドナルド・プレザンス。

 戦前のユニバーサル製怪奇映画『魔人ドラキュラ』(1931)のリメイクであり、同社の正統派ドラキュラ映画としては実に58年ぶりの映画化である。ユニバーサル映画のドラキュラは31年の映画化の際、メイク・アップ・アーティストのジャック・P・ピアースが原作通りのメイクを検討しており、牙もつける予定だったが、ドラキュラ役のベラ・ルゴシがそれを拒否したため、以来、同社のドラキュラ(及び吸血鬼)役者は「牙を着けない」という暗黙のセオリーがあった。79年版では、ランジェラがこの件に言及し、「牙を着けないことがオリジナル映画ファンへのメッセージ」としている。 本作でも他聞に漏れず、ドラキュラに牙は無いものの、血を吸われ「半吸血鬼」となったルーシーが赤いコンタクトと牙を着けた姿を披露。これが、ユニバーサルで初めて吸血鬼が牙を(そして赤いコンタクトを)着けた事例となった。ちなみに同社のドラキュラが牙を携えたのは、『ヴァン・ヘルシング』(2004)でのリチャード・ロクスバーグのドラキュラが初めてであるが、CG処理での牙だった。実際に牙を装着したドラキュラの例は、ユニバーサルでは無い。

 ジョナサン・ハーカーがカーファックスから車で移動中、レンフィールドに襲われる森の中のシーンで、一匹のコウモリが現れるが、見たところハワイに棲息する「フルーツバット」である。勿論、イギリスには(野生では)いない。さらにいうと本作でドラキュラが変身するコウモリはチスイコウモリである。この森のフルーツバットがドラキュラなのかどうかは不明だが、皮肉にもフルーツバットの方がランジェラの顔に似ている。ちなみにヨーロッパには吸血コウモリ自体が棲息しない。?

 セワード役のドナルド・プレザンスは、当初ヴァン・ヘルシング役を依頼されていたが、役柄が『ハロウィン』(1978)のルーミス博士に酷似していたことを理由に辞退し、セワード博士役を快諾したという。セワード博士は本作のコメディ・リリーフの役割で、登場シーンは全て「何かを食べている」という約束事がある。その食べ方は汚く、ことに伯爵を招いた晩さん会では、セワードのテーブルの食い散らかしようは惨憺たるものである。セワードは要所要所で「ギャグ」をかましているのだが、相棒のローレンス・オリヴィエの芝居が重厚で立ち過ぎているため、ことごとくギャグが生かされていない。

 ヴァン・ヘルシング教授に扮したローレンス・オリヴィエは、撮影時にすでに病(ガン)に侵され、体調が芳しくなかったとのこと。言わずと知れた世界的なシェイクスピア俳優であるが、この時はすでに舞台に立てるだけの体力が無く、演技時間が比較的短い「映画」の仕事に喜びを感じていたという。スタントマンを使うことを泣いて悔しがった、という逸話が残っている。ラストシーンで、ドラキュラに返り打ちに会い、胸に杭を刺される一瞬のシーンは顔が映るが別人である。

 ヒロインを演じたケイト・ネリガンは、後年、ジャック・ニコルソン主演の「ウルフ」でニコルソンの妻の役でお目見えした。

 レンフィールドを演じているトニー・ヘイガースはロイヤル・シェイクスピア・カンパニー所属というれっきとしたシェイクスピア俳優であり、日本での来日公演にも参加している。筆者の記憶では「テンペスト」のキャリバン役。1997年には舞台「12人の怒れる男」で、ローレンス・オリヴィエ賞にノミネートされている。

 79年のドラキュラブームの火付け役の一本で、大作として作られたが、同年製作されたコメディ映画「ドラキュラ都へ行く」の方に脚光が当たり、正統派の本作は影が薄くなった。日本はおろか、本国でも不入りに終わったという。原因はドラキュラ役のフランク・ランジェラである、ともっぱらの評判である。この当時、フランク・ランジェラは舞台、映画に引っ張りだこではあった。舞台ではシャーロック・ホームズ、テレビドラマでは怪傑ゾロを演じた。

 
frank-langella.jpg【舞台劇について】
 ハミルトン・ディーンによって1920年代に書かれた舞台劇『ドラキュラ』は、原作者夫人から正式に許可を取り、メディアとしては世界初の正式な形で発表されたもの。舞台構成の都合上、原作を大きく改編しているが、以後のドラキュラ映画の下敷きになっている「第2の原作」のようなものである。小劇団向けの芝居で、映画『ドラキュラ』はこの舞台劇に最も忠実な形で映画化されている。舞台劇は3幕2場の構成で、ドラキュラ城のシークエンスが無く、セワード博士の院長室とカーファックス修道院の納骨堂のみで展開される「室内劇」で、ドラキュラは「招待客」として登場する。そもそもこの戯曲が書かれた時代の小劇場芝居は室内劇が主流だったこともあり、大陸を股にかけた壮大なスケールの物語は無理があった。このためにもともと怪物性の高い容姿だったドラキュラは、上流階級の家に客として招かれるだけの気品と作法を備えざるを得なくなり、「夜会服の貴公子」というスタイルが確立されたという。

ヘルシング教授とドラキュラの対決シーンは、79年版の映画が舞台劇に最も忠実である。フランク・ランジェラは、この芝居でトニー賞にノミネートされた。
 ミーナとルーシーの名前が入れ替わっているのも舞台劇と同じ。 記録では、ランジェラが舞台でドラキュラを演じたのが1977年のことであり、翌年の再演ではジェレミー・ブレット、さらにその翌年はラウル・ジュリアがドラキュラを演じたという。

炎のいけにえ

 原題の"MACCHIE SOLARI"は「太陽の黒点」のこと。猛暑によって人々が自殺願望に駆られる冒頭からシモーナが暑さと疲労から死体が動き出す幻覚に悩まされるまでのシークエンスは、実に猟奇・怪奇なテイストで描かれる。ここは、「暑さによって人がストレスを爆発させる状況下で展開される物語」であることを示唆する状況説明としては非常に秀逸で、本題の物語の影が薄くなるほどに印象的な導入である。

 物語は自殺が多発している社会情勢を利用した犯罪劇。殺人犯は巨万の富を手中に収めるため、シモーナのすぐそばで暗躍し、邪魔者を自殺に見せかけて殺していくのである。ホラー映画というと少々肌色が違う作品だが、ショッキングな猟奇描写を多用する演出のためにしばしばホラー映画関連の書籍で紹介される作品だ。サスペンス・ミステリーとはいっても、イタリア映画独特の「味」も手伝ってか、描写、ムード、どれをとってもホラー映画並みに気持ち悪い。何よりも国内でDVDリリースしたブランドが「HORROR TV」であった。

 主人公のシモーナを演じたのは、ダリオ・アルジェント初監督作品『4匹の蠅』(1971)のミムジー・ファーマー、その恋人エドガーに扮したのは『悪魔の墓場』(1974)で主人公を演じたレイ・ラヴロック。

 『悪魔の墓場』といえば、ジョージ・A・ロメロ監督作品"NIGHT OF THE LIVING DEAD"(1968)の模倣作品であるが、"NIGHT OF THE LIVING DEAD"は日本未公開なので、「人を襲い喰う生ける屍」が日本で初めて紹介された作品として知られる。『悪魔の墓場』は人の内臓を露骨に描写した初期の作品だが、同年『悪魔のはらわた』(1974)も公開された。これまた内臓描写のオンパレード(しかも3D)のフランケンシュタイン物。考えてみればこの時期のイタリア映画は「人体破壊描写」が台頭していた時期でもあり、『炎のいけにえ』のモルグのシーンはこの系譜とも言える。実際は本編とは何らかかわりのない幻覚シーンではあるが、前述のホラー映画に比べ、よりグロテスクに、かつ綺麗にまとまっていたところは特筆すべきところ。また、『夢(幻覚)オチ』という点では、ハマーの『吸血ゾンビ』(1966)を知るものとしてはニヤリとしたいところである。
 70年代は様々な恐怖要素を持つ映画が世界各国で乱作され、それらを包括して「恐怖映画」と呼ばれて一大ジャンルを築いた時代である。『炎のいけにえ』はそんな時代に作られた逸品だ。

 
 監督のアルマンド・クリスピーノは新聞に掲載された「太陽の異常活動によって生まれる電磁波によって、夏は自殺者が増える」という仮説に着想を得、ルチノ・パリストラーダと共同で脚本を執筆し、メガホンを取った。クリスピーノは本作の前に"L'ETRUSCO UCCIDE ANCOLA(死者は生きている)"(1972)というサスペンス・ムービーを撮っている。本作と合わせてこの二本はクリスピーノの代表作とされている。また、『炎のいけにえ』に続く監督作は"FRANKENSTEIN ALL' ITALIANA"(1975)で、これはフランケンシュタイン物のコメディだった。

 
【参考文献】
HORROR TV DVD「炎のいけにえ」 プロダクション・ノート(山崎圭司)