1970⇒1979

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 1970年代に入って大手映画会社が大作志向のSF/ホラー映画を制作するようになり、それまでジャンル映画を得意としていた中小企業の制作会社は軒並み映画制作からの撤退を余儀なくされた。ハマー・フィルムもまた類に漏れず、映画制作の存続に窮していた。ハマーの社長マイケル・カレラスはもはや旧態依然としたSFや怪奇映画では稼げないと判断して新規分野の開拓に目を向けていた。その一つが戦前ヒッチコック・サスペンスのリメイクだったのである。
 アルフレッド・ヒッチコック監督の『バルカン超特急』(1938)のリメイクの企画は1973年にアメリカのテレビムービーの企画として発表されていた。これが映画作品『レディ・バニッシュ 暗号を歌う女』となって結実するまで実に6年の月日を要するのだが、その間にハマーの資金難は改善されず、『レディ・バニッシュ』の制作もスポンサーの撤退や制作費の増幅に悩まされ続けた。にもかかわらず、ハマーは『レディ・バニッシュ 暗号を歌う女』を立派なサスペンス・コメディとして、また、ハマー・フィルムの作品史上もっとも豪華な作品として完成させた。製作費はハマー作品史上最高となる200万ポンド(一説では250万ポンド)。これはひとえにランク・オーガナイゼーションが配給を承諾したおかげに他ならない。しかしながら、前述の通り本作の企画は1973年から出ていたが、映画公開までの間にイギリスを中心に世界的なミステリー映画ブームが起きた。アガサ・クリスティ原作の『オリエント急行殺人事件』(1975)、『ナイル殺人事件』(1978)、『クリスタル殺人事件』(1980)、『地中海殺人事件』(1982)、そして、ヒッチコック作品のリメイクでも『三十九夜』(1978)が作られ、本作はそれら競合作品にうずもれる格好となってしまった。また、名作映画のリメイクであることも仇となり、当時の映画評論家の格好の餌食になったことも否めない。

 本作は1978年12月にクランク・インしたが、それより前の同年8月、ハマー・フィルムは80万ポンドの負債を抱え、融資を受けていたPFS(パーソナル・ファイナンス・ソサエティ)によって口座を凍結させられてしまった。「ハマー・フィルム・プロダクション」は、「ハマー・フィルム・リミテッド(有限会社)」と名を変え、負債の残務処理を引き継ぐ格好となった。1979年4月30日、マイケル・カレラスはハマー・フィルムの社長を辞任。その3日後の5月2日、ハマー・フィルムは破産管財人の管理下に置かれることになった。『レディ・バニッシュ 暗号を歌う女』がロンドンでプレミア公開されるのはその3日後の5月5日であった。本作の監督はインド出身のアンソニー・ペイジ。映画監督であると同時に舞台演出家でもある。1997年にイプセンの戯曲『人形の家』の演出でトニー賞を受賞することになる実力派。リチャード・バートン主演の『告白の罠』(1978)を撮り終えた直後、『レディ・バニッシュ』撮影開始の僅か6週間前に監督をオファーされたという。

 主演はエリオット・グールド(『破壊!』『ロング・グッドバイ』『カプリコン・1』『オーシャンズ11』)と、シビル・シェパード(『タクシードライバー』『ワン・モア・タイム』)。フロイ夫人に扮したアンジェラ・ランズベリーは70年代前半には映画界から離れており、『ナイル殺人事件』(1978)で映画界に復帰、そして復帰第二作目が本作、その次が『クリスタル殺人事件』(1980)で、奇しくもアンジェラ・ランズベリーのキャリアにおいて、ミステリー三部作となっている。ハーツ医師のハーバート・ロムはハマー作品では『オペラの怪人』(1962)以来の出演となる。この当時はピンク・パンサー・シリーズのドレフュス役ですっかりお馴染みだった。