1895⇒1929

カリガリ博士(1920)

"Das Kabinett des Doktor Caligari"
ドイツ / デクラ・フィルム

[Staff]
制作:エリッヒ・ポマー
監督:ロベルト・ヴィーネ
脚本:ハンス・ヤノヴィッツ、カール・マイヤー
撮影:カール・フロイント

[Cast]
カリガリ博士・・・ヴェルナー・クラウス
ツェザーレ・・・コンラート・ファイト
フランシス・・・フリードリヒ・フェーヘル
ジェーン・・・リル・ダゴファー

[Story]
一人の老人にフランシスが言う。「私と許婚が体験した、恐ろしい話をしましょう。」 ホルステンヴァルの祭に、カリガリ博士なる人物が「眠り男ツェザーレの予言」の見世物小屋を開いた。同時に彼が村に来てから連続殺人事件が起こる。祭を仕切る役人が殺され、ツェザーレの予言を受けたフランシスの友人アランも殺された。ツェザーレはアランに「お前の命は明日の朝まで」と予言し、そのとおりになった。フランシスは、博士に疑念を抱き、警察と共に博士を監視するが、監視している最中にも事件は起きる。ある夜、フランシスの許婚ジェーンが寝室で襲われる。ジェーンによると、襲ってきたのはツェザーレだった、という。 博士は逃亡を図り、追っ手を振り切って精神病院に逃げ込んだ。すぐさま殺人犯が逃げ込んだことを告げようとフランシスたちが院長室に行くと、その病院長自身がカリガリその人であった。

[Text]

E382ABE383AAE382ACE383AAE58D9AE5A3AB.jpg「表現主義芸術」というのは形式を無視し、心理・感情を具現化する表現手法である。そのため「快活・爽快」とは無縁になりがちで、混沌としているものだ。この作品も多分に漏れず、実に陰鬱で重苦しい。「カリガリ博士」の持つゴツゴツとしたタッチは以後のドイツ映画のカラーを決定付けたようにも思う。また、映画というものは、制作費を含めた「環境」が顕著に表れるもの。当時席巻していた一大ムーブメントである「ドイツ表現主義」のクリエイターが集結したならば、無意識のうちに作品に「世相」が表れたことであろう。つまり「カリガリ博士」は「ドイツ表現主義映画」である以前に「ヴァイマル憲法下の混沌としたドイツそのもの」であった。

その昔は、ヒトラーの出現=ナチの台頭 を予言した、などということがまことしやかに言われたが、現在では否定されている。製作された時点でヒトラーは、何ら影響力の無いただの兵隊であった。また「政治的圧力によって内容が改変され、プロローグとエピローグが付け加えられたことで本来の主旨が骨抜きにされた」とも言われたが、これも現在では信憑性が薄い。どの道、この点に関してはいくつかの説があり、はっきりしない。プロローグとエピローグが制作上の意見の相違で後から付け加えられたのは確かなようだが、奇しくもこれが映像の「回想技法」の始まりとなる。

「1919年制作」と表記されることが多いが、撮影が1919年12月にクランクインしており、翌年1月にクランクアップ。本国での公開は20年2月で、以降主に20年から21年を中心に世界各国で公開されている。日本での公開は21年5月14日という。
表記の仕方は「1920年」が妥当。ちなみにNHK BS2『熱中夜話」』の「B級映画特集」では「1921年」という表記だった。

近年の研究で横浜オデオン座で1921年(大正10年)4月23日に、『眠り男』として封切されていることが判明している。

カリガリ博士を演じたヴェルナー・クラウスは、演じた時点で35歳の若さだった。1922年の「オセロー」ではイアーゴーを演じており、1926年の「プラーグの大学生」では悪魔スカピネリである。「悪魔的」な悪役を得意とした役者だが、反面、「ブルグ劇場」での恋する大俳優ミッテラーなど、チャーミングな役もこなす名優である。