1960⇒1969

1963年の最近のブログ記事

吸血鬼の接吻

 英国ハマープロが、「吸血鬼ドラキュラ(1958)」「吸血鬼ドラキュラの花嫁(1960」に続いて製作した吸血鬼物である。

 「吸血鬼ドラキュラ」のヒットを受けて、クリストファー・リーのドラキュラで続編"Revenge of Dracula"が?企画された。しかし、リーが同じ役を続投する事を拒否したため、「吸血鬼ドラキュラの花嫁」が製作された。当初企画された脚本には3本の候補があったという。その中には、ヴァン・ヘルシング博士が魔法陣を描き、黒魔術を用いてコウモリの精霊を召還し、吸血鬼を退治する、というものがあったという。その案が本作「吸血鬼の接吻」で採用された。
 本作で登場する、印象的なラヴナ邸の外観は、ハマーホラーにおいて「象徴的」ともいえる建造物(ミニチュア)である。後に「凶人ドラキュラ(1966)」の「ドラキュラ城」として登場するため(作品の知名度やインパクトにおいても「凶人ドラキュラ」の方が勝るためか)「ドラキュラ城」の印象が強いが、実のところそれは「流用」であった。
 ジマー教授が吸血鬼に手を噛まれ、火で焼く事で治療をするシーンが登場する。これもまた、「凶人ドラキュラ」に引き継がれる。もともとは「吸血鬼ドラキュラの花嫁」で使われた治療法であった。
 考えてみれば、旅行者が吸血鬼の御膝元でアクシデントに会う、吸血鬼の城に迷い込む、嫁が狙われる、その土地の「吸血鬼に造型の深い人物」に助けられる、という展開もまた、「凶人ドラキュラ」に受け継がれる。「凶人ドラキュラ」は、本作のパロディなのだろうか?(笑)
 アメリカではテレビ放映の際、「KISS OF THE EVIL」とタイトルが変更され、さらに冒頭の葬儀の参列者をアメリカの役者に差し替えられた。日本でテレビ放映されたものは、アメリカTV版である。

狂人の日記

 日本未公開作品。
 モーパッサンの短編「オルラ」を基にしてプロデューサーのロバート・E・ケントが脚色。

 ヴィンセント・プライスが「善の顔」と「悪の顔」を使い分け、また、ナンシー・コヴァックも表と裏の顔を使い分けるなど、役者の力量をふんだんに楽しめる。

 ナンシー・コヴァックは同年、「アルゴ探検隊の大冒険」に王女メディア役で出演。翌年に開始された人気テレビドラマ「奥様は魔女」では記念すべき第一話のゲストとして登場した。
その際、サマンサにダーリンを取られ「元婚約者」のシーラを演じ、サマンサに嫌がらせをしてコテンパンに返り討ちに合う、という汚れ役を見事にこなした。
以後、同シリーズに何度か出演し、そのコメディエンヌぶりで実力を示した。この作品のヒロインであるオデットは、メディア王女とシーラの中間あたりの雰囲気。なかなか器用な女優だ。

 ヴィンセント・プライスもまた「コメディ演技」には強く、器用な役者だ。「滑稽な尊大さ」というのはプライスもコヴァックも持ち合わせている「味」であり、ある意味、似たようなタイプの二人が「恋の駆け引き」の芝居をしており、その「演技合戦」がなかなか見物である。