ガイ・エンドアの小説『パリの狼男』をベースにハマー・フィルムが手掛けた狼男映画で、テクニカラーで製作された世界初の狼男映画である。また、オリバー・リードの初主演映画ともなった。
1960年の最近のブログ記事
ハマーのドラキュラ・シリーズ第2作。ドラキュラ死後の後日談で、ピーターカッシング扮するヴァン・ヘルシング博士が再び登場。ドラキュラの弟子、マインスター男爵一派と対決する。
経営難に陥っていたユニバーサル社は、同社配給の『吸血鬼ドラキュラ』(1958)のヒットによって倒産を免れ、ハマー・プロに賛辞を贈るとともに続編の制作をもちかけた。プロデューサーのアンソニー・ハインズは脚本家のジミー・サングスターに『Disciple of Dracula(ドラキュラの弟子)』というタイトルの脚本を依頼。
草稿では、近隣の学校の女生徒二人を毒牙にかけた吸血鬼マインスター男爵が村に訪れた二人の英国女性を狙い、主人公ラトゥールがドラキュラの亡霊を召喚して男爵を倒すという内容だった。このプロットではドラキュラはカメオ出演程度のものだった。
同時にハマーは別の企画、クリストファー・リーのドラキュラ物『Dracula the Damned(忌まわしきドラキュラ)』の制作スケジュールを組んでいた。その後ハマーはピーター・ブライアンに『Disciple of Dracula』の書き直しを指示。これによりドラキュラの登場がカットされ、ラトゥールはヴァン・ヘルシング博士に変更された。タイトルは『Brides of Dracula』となる。ここではヴァン・ヘルシングが黒魔術でコウモリの大群を召喚し、吸血鬼を倒す事になっていた。さらにブライアンはサングスターの草稿での2人の女性主人公を1人にまとめた。それが本編のヒロイン、マリアンヌ・ダニエルである。ヴァン・ヘルシング役は勿論、ピーター・カッシングがキャスティングされた。
同時にドラキュリー再登場の『Dracula the Damned』の企画は消滅。リーはハマーで着実にキャリアを積んでいたものの、この時点でハマーはリーを重要視していなかったようだ。ハマーのスターはあくまでピーター・カッシングだったのである。
さて、ここで問題が発生する。カッシングがブライアンの脚本の「ヘルシングが黒魔術を使ってコウモリの大群を召喚する」ことに難色を示したのである。脚本はカッシングの演劇仲間の作家エドワード・パーシーに委ねられた。パーシーの修正は最小限だったが、カッシングを納得させるには充分だった。その後、BBFC(全英映像等級審査機構)の監査を経て、撮影直前に書き直すなどし、1960年1月に撮影台本が完成。
ヘルシングが黒魔術で吸血鬼を倒すという案は後に『吸血鬼の接吻』(1963)で採用されるが、ジミー・サングスターの草稿は、ある意味で同作のプロットそのものともいえる。
マリアンヌ役にフランスの女優イボンヌ・モンローが招かれた。彼女はフランスから母親と共に渡英、ブリテンに滞在中に『殺人鬼登場』、『吸血鬼ドラキュラの花嫁』、『Terror of Tongs』(いずれも1960年)と、立て続けにハマーフィルムの作品に出演。彼女はハマーの上層部に気に入られていたが、その理由はブリジット・バルドーに似ていたからである。この時期、ハマーではバルドーのファンが多く、本人の出演を熱望していたのだった。(※なぜ実現しなかったのかは不明)
マインスター男爵役には無名のデヴィッド・ピールが配役された。背が低かったために底上げの靴とジンジャーキッス・カールの大きなかつらで身長を嵩上げして役に挑んだ。マインスター男爵は設定ではティーン・エイジャーだったが、実年齢が40歳だった彼には無理があったが、それでも、この狡猾にして冷酷な吸血男爵を小器用に好演した。
ここでの「吸血鬼」は、カメラ視点に、世を俯瞰するようなナレーションが入るという一人称で描かれている。
60年代に入ってAIP(アメリカン・インターナショナル・ピクチャーズ)がシリーズ化したエドガー・アラン・ポー映画の第一作目である。これによってAIPのカラーが固まり、監督のロジャー・コーマンの名前もメジャーになったという。
原作では主人公が友人であるロデリックから助けを請う手紙を受け取り、アッシャー邸に赴いて不思議な体験をする、という幾分冗長な短編であったが、これをリチャード・マシスンが躍動的に脚色。マシスン本人が「脚色は楽しかった」と述懐している。
石造りの屋敷が燃え落ちるときに、何故か木造建築の天井か壁が焼け落ちるカットなど「突っ込みどころ」もあるのだが、まあそこはそれ、「細かいことは気にしていない思い切りの良さ」が、この作品、及びポー・シリーズが愛されている要因の一つだと思う。
幻想シーンで登場する幽霊のエキストラを除けば、この作品の登場人物は4人と非常に少ないがあまり気にならない。これは主演のヴィンセント・プライスの存在感の賜物だろう。彼の大仰な芝居は、少々滑稽ではあったが、ノイローゼ気味のロデリックをよく表現していた。
AIPの逸話はケチくさい物が多いが、それはそれなりの「美学」があるようで、必要最低限の状況の中、それを創意工夫で補っている。本作品に限らず、どの作品も実に手作り感あふれる作風である。
2005年にアメリカ国立フィルム登録簿に登録。