1960⇒1969

フランケンシュタインの最近のブログ記事

ハマーのシリーズ5作目。

久しぶりに極めて冷酷な男爵の登場である。いつものカッシングテイストの芝居であるが、緊張感が違う。また、シリーズの中で最も短髪でスタイルもカッチリまとまっており、それがまた冷酷さを増幅させているようだ。「スターウォーズ」のターキン総督の若い頃はこうだったかもしれない、という印象。

 男爵は「ノックス博士には二人の助手がいた」とカールに説く。イギリスの犯罪史でも知られる「ロバート・ノックス医師と、検体用の死体調達人バークとヘアによる連続殺人」の事件のことだ。男爵はノックス博士に自分を投影するのだ。カッシングは1959年に「死体解剖記」でそのノックス医師に扮している。事情通にはちょいとニヤリとしてしまう一幕。

 加えて、男爵による通り魔殺人と、核心に迫りながらも結局犯人を捕まえることの出来なかった警察は、切り裂きジャックの事件を彷彿とさせる。

 イギリスに暗い影を落とした歴代の猟奇殺人事件が色濃く反映されているようだ。イギリス人にとっては風刺的な作品だったのではないだろうか?

 宿屋のサロンで宿泊客が、男爵がいる場で、新聞の(男爵の起こした)殺人事件の記事を話題にし「(殺人鬼が)隣にいても気付かないのが怖い」と語るところは、思うに「イギリス国民の心情」そのままなのであろう。

 サスペンス性が強く、スピーディな展開。日本で公開された最後のハマー・プロのフランケンシュタイン映画である。

 一瞬、スタッフが映ってしまうダウトがある。
ハマーのシリーズ4作目。
「フランケンシュタインの怒り」はフレディ・フランシスが監督だったが、本作でテレンス・フィッシャーに戻った。フィッシャーにとっては実に9年振りのフランケンシュタイン映画である。?


 不幸な若い恋人たちの悲恋に重点が置かれている。ハンスの父親は子供のハンスの目の前で首を飛ばされ、ハンスもまた、愛するクリスティーナの目の前で父と同じ死に方をする。親子二代に渡って、一番見られたくない人の目の前で命を絶たれるこのあたりは、非常に残酷だ。?

 「二人の魂は天国で結ばれました」という話はよくあるが、男爵が「魂は物体であり、死んでもある一定時間は体内に残る」ことを証明してしまったために、二人の魂はクリスティーナの中で融合する形で結ばれてしまった。また、二人の清い心は、あまりにもあまりの仕打ちに「凄まじい憎悪に満ちた怨念」に変わり、結果的に女性の形をした「怪物」になり果ててしまったのである。?

 復讐を遂げたクリスティーナは「男爵の目の前で」川に身を投げて命を絶つ。因果応報。男爵は最後の最後に、二人と同じ目を見た・・・と私は思う。暗く、救いが無く、とてつもなく悲しい物語であった。?

 「フランケンシュタインの逆襲」から数えて、ハマーホラーが10年目を迎えた時の作品。?
翌年の1968年にハマー・フィルムは莫大な利益を国にもたらした功績により、エリザベス女王から勲章を受ける栄誉を授かる。この時すでにホラー映画の世界市場はハマーホラーの独擅場であった。?

 また同時に、「2001年宇宙の旅」「猿の惑星」「ナイト・オブ・ザ・リヴィングデッド」の発表によって、SF・ホラー映画は新時代を迎えることになる。

 ハマーのシリーズ3作目。
 ハマーがワーナー・ブラザーズ配給でフランケンシュタイン(以後、F)映画を制作することになった時、当然のことながらユニバーサル社(以後、ユ社)のFシリーズ設定と怪物のメイクの使用許諾を得ることができず、苦肉の策でF男爵の悪行を物語の軸に据える格好で映画は完成した。ふたを開けてみればこれがヒットを飛ばし、結果としてユ社は苦虫を食いつぶすことになった。ハマー・ホラーの第二弾『吸血鬼ドラキュラ』(1958)が企画された際、ハマーは原作の映画化権を完全に掌握しているユ社に再び伺いを立てることになった。ハマーからすればこれは大きな賭けであったが、ユ社からすれば渡りに船で、世界配給を条件に『ドラキュラ』の映画化を許諾し、これが先の作品を超える大ヒットとなった。これによって屋台骨がかしいでいたユ社の経営は立ち直り、ハマー・ホラー第三弾『ミイラの幽霊』(1959)では、ユ社は『ミイラの復活
』(1940)の設定をハマーに完全貸与。以後、ハマーはユ社からの資金提供を得て、『吸血鬼ドラキュラの花嫁』(1960)、『吸血狼男』(1960)、『オペラの怪人』(1962)を制作していく。その流れで作られた作品が『フランケンシュタインの怒り』で、ここで初めてユ社のF映画の設定が許可された。めでたく、それまでのハマーのF映画のF男爵の悪行を軸とした物語の路線を踏襲しつつ、ユ社の巨大な人造人間=怪物を登場させることができたわけだ。
初作『逆襲編』は、続編『フランケンシュタインの復讐』(1958)をもって物語が完結しているため、本作はそれに干渉しない独立した一話完結の物語となっている。
 監督はテレンス・フィッシャーに変わって、当時新鋭であったカメラマン出身のフレディ・フランシス。怪物にはニュージーランド出身のプロレスラー、キウイ・キングストンが扮した。