1960⇒1969

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悪魔の宴

 1968年は『2001年宇宙の旅』『猿の惑星』『Night of the Living Dead』という革命的な作品が発表され、老舗のハマー・プロはイギリス経済に貢献した一企業としてエリザベス女王から叙勲され、ジャンル映画に取ってまさに最盛期の真っただ中であった。そんな最中に制作された本作はボリス・カーロフ、クリストファー・リー、バーバラ・スティール、マイケル・ガウ、ルパート・デイヴィスといった、新旧怪奇スターの豪華共演が楽しめる逸品。ボリス・カーロフにとっては、遺作ではないが、存命中に発表された最後の作品となる。 

 H・P・ラヴクラフトの短編小説『魔女の家の夢』に基づくが、物語はあまり似ていない。(執筆中)

悪魔の花嫁

1877659442_199.jpgハマーのオカルト映画「悪魔の花嫁(1968)」は、デニス・ウィートリーの小説の映画化作品。


クリストファー・リーはウィートリーとは旧知の仲で、リーの後押しもあって本作は映画化された。脚本にはリチャード・マシスンがあたっている。

リーの談によると、彼が最も気に入っているハマー・ホラーの一本だという。

悪の首領モカタには、当初ゲルト・フレーベが予定されていた。

ド・リシュリュー公爵率いる5人の白魔術士のコミュニティが、モカタを教祖とした黒魔術のカルト教団と闘う物語だ。

1877659442_179.jpg宗教がからんでくることだし、日本で馴染みのない文化的誤差のためか、どうも日本では紹介されにくい作品である。

が、人物相関が東映の戦隊物とまるっきり同じなので、そこに気付くとすんなり物語に入れる。少なくとも私は。

原作では登場人物に細かな設定があるのだが、映画ではそこのところをすっ飛ばして、いきなり「大変なことが起きている!」「何、あいつが!?」と始まり、そのまま対決になだれ込んでしまうので、少々わかりづらい。

描かれていることは「悪の組織との最終決戦」で、黒魔術の首領・モカタは、黒い悪魔、骸骨騎士、大蜘蛛、といった"もののけ"を駆使して白魔術団に闘いを挑み、その黒幕である「悪魔」も、実体として登場する。

つまり、たくさんの怪人が登場し、総統もお出ましになり、組織が壊滅に追いやられる、という、戦隊物の最終回だけを、そのままやっているのだ。

いきなり最終回、である。

人物設定は、というと・・・

リシュリュー卿:熱血漢のリーダー。格の高い白魔術の使い手。=アカレンジャー
リチャード:冷静沈着。=アオレンジャー
レックス:力仕事担当=キレンジャー
マリー:紅一点のおばちゃん。リチャードの妻で、娘がいる。この人の呪文は爆弾級である。=モモレンジャー
サイモン:未熟な若者。こいつが黒魔術に手を染めたことが事件の発端となる。=ミドレンジャー。

まあ、この解釈はこじつけといえばこじつけなのだが、あながち間違ってもないと思うし、ここのところに気付けば、この作品も日本で少しばかり評価が高くなるかもしれない。

狂人の日記

 日本未公開作品。
 モーパッサンの短編「オルラ」を基にしてプロデューサーのロバート・E・ケントが脚色。

 ヴィンセント・プライスが「善の顔」と「悪の顔」を使い分け、また、ナンシー・コヴァックも表と裏の顔を使い分けるなど、役者の力量をふんだんに楽しめる。

 ナンシー・コヴァックは同年、「アルゴ探検隊の大冒険」に王女メディア役で出演。翌年に開始された人気テレビドラマ「奥様は魔女」では記念すべき第一話のゲストとして登場した。
その際、サマンサにダーリンを取られ「元婚約者」のシーラを演じ、サマンサに嫌がらせをしてコテンパンに返り討ちに合う、という汚れ役を見事にこなした。
以後、同シリーズに何度か出演し、そのコメディエンヌぶりで実力を示した。この作品のヒロインであるオデットは、メディア王女とシーラの中間あたりの雰囲気。なかなか器用な女優だ。

 ヴィンセント・プライスもまた「コメディ演技」には強く、器用な役者だ。「滑稽な尊大さ」というのはプライスもコヴァックも持ち合わせている「味」であり、ある意味、似たようなタイプの二人が「恋の駆け引き」の芝居をしており、その「演技合戦」がなかなか見物である。