1970⇒1979

炎のいけにえ(1975)

"MACCHIE SOLARI (THE VICTIM:USA)"
イタリア / クローディオ・シネマトグラフィカ

[Staff]
制作:レオ・ペスカローロ
監督:アルマンド・クリスピーノ
脚本:ルチオ・パリストラーダ、アルマンド・クリスピーノ
撮影:カルロ・カルリーニ
音楽:エンニオ・モリコーネ
配給:ジョセフ・ブレナー・アソシエイツ

[Cast]
シモーナ・サナ・・・ミムジー・ファーマー
ポール・レノックス・・・バリー・プリムス
エドガー・・・レイ(レイモンド)・ラヴロック
レロ・サナ・・・カルロ・カタネオ
ダニエラ・・・アンジェラ・グッドウィン
ベティ・レノックス・・・ガービー・ワグナー
ジャンニ・サナ・・・マッシモ・セラト
イヴォ・・・エルネスト・コリ
管理人・・・レオナルド・セヴェリーニ
エレオノーラ・・・エレオノーラ・モラナ

[Story]
 真夏の驚異的な猛暑に襲われたローマでは自殺が多発。 モルグ(死体安置所)で働く病理学医シモーナは連日次々に運ばれてくる変死体の解剖に追われ、暑さも手伝って心身共に消耗していた。彼女にとっての癒しは恋人のエドガーと過ごす一時であった。ある日、シモーナのアパルトメントの部屋にベティと名乗る女性が訪れた。彼女はシモーナの部屋の上の階に間借りしているという。その部屋は古美術商を営むシモーナの父、ジャンニの愛人専用の部屋だった。ベティは「打ち明けたい秘密がある」とシモーナに告げたが、自室の電話に呼び出されて用件を告げずに部屋を出、そのまま戻ってこなかった。その翌日、ベティは拳銃で顔を撃ち抜かれた変死体となってシモーナの職場に運ばれてきた。監察の結果、ベティは自殺と断定されたが、ベティの兄のポール神父は「ジャンニに殺された」と主張するのであった。それ以後、シモーナの周辺で不可思議な事件が起きるようになる。アパルトメントの管理人の不可解な死、ベティとジャンニの間で交わされた「書類」の謎、次第にシモーナは何者かが自分の命を狙っていることがわかる。事件の真犯人は誰なのか。そしてその目的は・・・。

[Text]

 原題の"MACCHIE SOLARI"は「太陽の黒点」のこと。猛暑によって人々が自殺願望に駆られる冒頭からシモーナが暑さと疲労から死体が動き出す幻覚に悩まされるまでのシークエンスは、実に猟奇・怪奇なテイストで描かれる。ここは、「暑さによって人がストレスを爆発させる状況下で展開される物語」であることを示唆する状況説明としては非常に秀逸で、本題の物語の影が薄くなるほどに印象的な導入である。

 物語は自殺が多発している社会情勢を利用した犯罪劇。殺人犯は巨万の富を手中に収めるため、シモーナのすぐそばで暗躍し、邪魔者を自殺に見せかけて殺していくのである。ホラー映画というと少々肌色が違う作品だが、ショッキングな猟奇描写を多用する演出のためにしばしばホラー映画関連の書籍で紹介される作品だ。サスペンス・ミステリーとはいっても、イタリア映画独特の「味」も手伝ってか、描写、ムード、どれをとってもホラー映画並みに気持ち悪い。何よりも国内でDVDリリースしたブランドが「HORROR TV」であった。

 主人公のシモーナを演じたのは、ダリオ・アルジェント初監督作品『4匹の蠅』(1971)のミムジー・ファーマー、その恋人エドガーに扮したのは『悪魔の墓場』(1974)で主人公を演じたレイ・ラヴロック。

 『悪魔の墓場』といえば、ジョージ・A・ロメロ監督作品"NIGHT OF THE LIVING DEAD"(1968)の模倣作品であるが、"NIGHT OF THE LIVING DEAD"は日本未公開なので、「人を襲い喰う生ける屍」が日本で初めて紹介された作品として知られる。『悪魔の墓場』は人の内臓を露骨に描写した初期の作品だが、同年『悪魔のはらわた』(1974)も公開された。これまた内臓描写のオンパレード(しかも3D)のフランケンシュタイン物。考えてみればこの時期のイタリア映画は「人体破壊描写」が台頭していた時期でもあり、『炎のいけにえ』のモルグのシーンはこの系譜とも言える。実際は本編とは何らかかわりのない幻覚シーンではあるが、前述のホラー映画に比べ、よりグロテスクに、かつ綺麗にまとまっていたところは特筆すべきところ。また、『夢(幻覚)オチ』という点では、ハマーの『吸血ゾンビ』(1966)を知るものとしてはニヤリとしたいところである。
 70年代は様々な恐怖要素を持つ映画が世界各国で乱作され、それらを包括して「恐怖映画」と呼ばれて一大ジャンルを築いた時代である。『炎のいけにえ』はそんな時代に作られた逸品だ。

 
 監督のアルマンド・クリスピーノは新聞に掲載された「太陽の異常活動によって生まれる電磁波によって、夏は自殺者が増える」という仮説に着想を得、ルチノ・パリストラーダと共同で脚本を執筆し、メガホンを取った。クリスピーノは本作の前に"L'ETRUSCO UCCIDE ANCOLA(死者は生きている)"(1972)というサスペンス・ムービーを撮っている。本作と合わせてこの二本はクリスピーノの代表作とされている。また、『炎のいけにえ』に続く監督作は"FRANKENSTEIN ALL' ITALIANA"(1975)で、これはフランケンシュタイン物のコメディだった。

 
【参考文献】
HORROR TV DVD「炎のいけにえ」 プロダクション・ノート(山崎圭司)